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 康熙帝は、中国で初めてチョコレートを口にした人とされています。当時、康熙帝が献上品として届けられたチョコレートと、それに添えられた上奏文に三文字の返答を記し、中国ではチョコレートが広まりませんでした。

 それから三百年ほど経ち、チョコレートは今や中国人の日常生活で愛されるお菓子となりました。この間に、チョコレートは中国でどのような変化を経てきたのでしょうか?

 チョコレートの歴史は古代メソアメリカ時代から始まったとされています。考古学的な証拠によると、最も古いチョコレートの痕跡は紀元前19世紀のオルメカ文明にまで遡ることができます。その時代の遺跡からカカオ成分が付着した土器が発見され、当時の人々がチョコレートを飲用したことの手がかりとなりました。古代メソアメリカ人は、乾燥させたカカオ豆をすりつぶし、樹液や熱湯、唐辛子と混ぜ合わせて、独特な飲み物として楽しんでいたそうです。

 紀元1526年、スペインの探検家エルナン・コルテスがアステカ帝国からチョコレートをヨーロッパに持ち帰り、当時のスペイン国王に献上したことで、チョコレートブームが巻き起こりました。16世紀になると、スペイン人は苦くて辛かったチョコレート飲料を改良し、砂糖、牛乳と香料を加え、甘みを増やして飲むようにしました。飲みやすくなったチョコレートが当時の王室貴族の間で流行する飲み物となりました。

 1828年、オランダの化学者カスパルス・ファン・ハウテン(Casparus van Houten)がカカオ豆からカカオバターを絞り出すことに成功しました。カカオバターを取り除いた後に残るココアパウダーは、水で溶かして飲みやすいチョコレート飲料となりました。この技術により得られたカカオバターは固形チョコレートの誕生をもたらしました。

 チョコレートは清の時代の初期に中国へ伝わったとされていて、最も古い記録は康熙帝の時代にまで遡ることができます。1706年(康熙45年)5月に、ローマから来た宣教師がチョコレートを「西洋の名薬」として清の朝廷に献上しました。当時、西洋ではチョコレートを薬と扱っていたため、西洋医学に強い関心を持っていた康熙帝は、この珍しい「西洋の薬」に興味を示しました。

 チョコレートは清の時代に「綽科拉(チョコラ、cokola)」と音訳されました。康熙帝は大臣赫世亨に命じて、宣教師から献上されたチョコレートを受け取らせました。

 赫世亨は非常に熱心に取り組みました。彼は康熙帝のために50個のチョコレートを厳選し、さらに銀製の食器一式と、チョコレートをかき混ぜるためにツゲで作られたすりこぎ棒を特別に用意しました。

 赫世亨は康熙帝に提出した上奏文の中で、チョコレートの材料と飲み方について次のように紹介しました。

 「このチョコラについて、私は宮廷の西洋医師・宝忠義に尋ねました。彼の話によると、チョコレートは「熱性」のものに属し、甘みと苦みを併せ持ち、産地はアメリカやフィリピンなどの地域です。八種類の食材と薬草を合わせて調合されています。そのうち、シナモン、ジンギョウ、砂糖の三種は我が国でも入手可能ですが、残りの「gagao(ココア?)」「waniliya(バニラ?)」「anis(アニス?)」「ajuete(添加物?)」「megajuoce(ミルク?)」()の五種は我が国では入手できません。この八種類の材料が使われていることは分かっていますが、それぞれの配合量については分かりません。ただ、沸かした砂糖水を入れた銅または銀制のツボに、これらの材料を入れて、ツゲ材のすりこぎ棒でかき混ぜて飲むものだと聞いております」

 赫世亨がチョコレートの効能や治す病気を説明していなかったため、康熙帝はこの上奏文にあまり満足していませんでした。そこで康熙帝は次のように返答しました。

 「しかし、どんな効能があり、どんな病気に効くのかは書かれていない。見たところ、大した役に立つ薬でもなさそうだ。もう一度尋ねてみなさい。今後、このチョコラは献上しなくてよい」

 赫世亨は急いで説明を加えて上奏しました。「チョコラは薬ではなく、アメリカではお茶のように飲まれており、1日に1回か2回飲むものです。年寄りや胃が弱い者、下痢の者には特に適しており、胃の働きを助け、消化を促進するに大きな効果があります。ただし、発熱や喘息などの症状のある方は飲用を避けるべきです」

 康熙帝はこれに対して三文字だけを返答しました。「知道了(了解した)」

 その後、康熙帝はこの件について再び尋ねることもなく、チョコレートの献上を求めることもなかったのです。

 康熙帝はおそらく、チョコレートには消化を助ける効能しかないと考えていたでしょう。中国にはすでにこのような効能を持つ漢方薬が数多く存在していたため、チョコレートへの興味を失ったのかもしれません。

 清末民初、西洋文化の伝来と影響力の増大に伴い、チョコレートは中国で徐々に普及し始めました。当時社会の著名人や知識人たちはこの西洋の食べ物にとりわけ興味を示しました。例えば、張愛玲(チャン・アイリン)は1945年に発表した散文『双声』の中で、親友と一緒にカフェでホットチョコレートを飲んだことを記しました。当時のチョコレートは、すでに一種のファッションとなっていたことがうかがえます。

 おそらく、あの時、「西洋薬」を求めていたの康熙帝は、チョコレートが薬ではなかったと知った途端、興味を失ったのかもしれません。ところで、中医学(漢方医学)ではチョコレートをどのように見ているのでしょうか?

 中医学の観点から見ると、チョコレート(特にダークチョコレート)は「苦味で温性」のものに分類されています。中医学では、赤は「五行説」の「火」に属し心臓に作用し、黒は「水」に属し腎臓に作用するとされています。チョコレートの「チョコレート色」は赤と黒が交じり合った色であり、心臓と腎臓の調和に対応し、体の陽気を活性化させ、元気を取り戻す効果があるとされます。鬱陶しい気分に沈んだ時に、チョコレートを少し食べると気持ちが明るくなり、心が晴れ渡るように感じられる人がいます。これはまさにチョコレートが心を温める働きで体内の「陽」を強め、陽気を活発に働かせる作用の現れです。

 チョコレートがアメリカ大陸からヨーロッパを経て、中国へと伝わるまでの長い旅路は、異文化交流と食生活の融合の軌跡を示しています。康熙帝の淡々とした「了解した」という返答から、現代において中国人の日常生活で好まれるお菓子となるまで、この三百年ほどの間に、チョコレートは中国における歴史は劇的な変化を遂げてきたのです。

註:満洲語の発音をもとに音訳した。

(翻訳・心静)