言葉の中には、時に人を傷つける「柔らかいナイフ」のようなものがあります。この「柔らかいナイフ」にはさまざまな解釈がありますが、その一つが、悪意のある口調や不適切な言葉遣いです。それは鋭い刃のように、目に見えませんが、知らず知らずのうちに心を深く傷つけるのです。
ふとした一言は、冷たい風のように人を傷つけることがあります。だから日常生活では、他人に対する言葉は特に注意が必要です。形はなくても、言葉には驚くべき力があるからです。
罵られて枯れた植物
アラブ首長国連邦のとある機関が、興味深い実験を行いました。一見至って普通の実験に見えますが、結果は衝撃的でした。
研究者は、同じ見た目の2つの鉢植えを透明カバーで覆って学校内に置きました。2つの鉢植えは同じ日光、水、肥料を与えられ、扱いは全く同じでした。しかし、その運命は大きく異なりました。
左側は「いじめられ植物」と名付けられ、右側の植物は「褒められ植物」と名付けられました。ここで言う「いじめ」とは、物理的暴力ではなく、言葉による攻撃です。実験者は多くの学生に協力を依頼し、「お前なんか役立たず」「何の価値もない」「腐ってるみたい」「誰もお前が好きになんかならないよ」といった耳障りな罵声を録音しました。数文字だけの言葉ですが、針のように鋭く、「いじめられ植物」のそばで繰り返し再生されました。
一方、右側の「褒められ植物」には、温かい称賛の言葉が浴せられました。「君の姿が好きだ」「美しいね」「君を見ると幸せになる」「君がいるから世界はもっと素敵だ」などの言葉は、暖かい春風のようで、「褒められ植物」を潤いました。
こうして30日が過ぎました。結果は驚くべきものでしたが、予想通りでもありました。罵られた「いじめられ植物」は本当に枯れてしまい、まるで罵声に「殺された」ようでした。一方、「褒められ植物」は青々と茂り、生命力にあふれていました。
たった30日間で、罵られ続けた植物は枯れました。言葉は目に見えないものですが、命を破壊する力を持ち、植物さえその影響を受けます。ましてや人間の心への影響の深さは計り知れません。
毎年約2億4,600万人の子どもと青少年が言語の暴力の被害を受けているという統計があります。言語の暴力は学校だけでなく、日常のあらゆる場面に潜んでいます。たったの一言で人を打ちのめすことがあり、その言葉が親しい人の口から出た場合、そのダメージは壊滅的かもしれません。「役立たず」「無能」「死ねばいいのに」といった言葉は、冷たい矢のように心を貫くのです。
言葉の力は人を深く傷つける
科学者によると、否定的な言葉はストレス反応を引き起こし、発達中の脳に永続的な変化をもたらします。私たちの体の細胞には記憶能力があり、否定的な感情の影響は想像以上に深いものだそうです。
詩人のマヤ・アンジェロウ氏は「言葉は小さなエネルギーの弾丸のようで、目に見えない領域を貫きます。形がなくても、言葉は力となり、部屋、家庭、心の中に広がります」と述べました。言葉には魂があり、素晴らしいものを生み出せる一方で、何もかもを破壊する力も持っています。多くの親は無意識に否定的感情を子どもにぶつけ、子どもをその感情の受け皿にしてしまいます。多くの夫婦は辛辣な言葉で互いを傷つけ、家庭を果てしない争いの場にしてしまいます。
では、この状況はどうすれば変われるでしょうか?答えは「自分の言動を変える」ことです。思考にはエネルギーがあり、言葉は思考の響きです。その波紋は私たちの生活に影響を与えます。否定的な言葉を発すると、負の波動を放ち、不幸を引き寄せます。逆に、誠実な称賛や励ましの言葉は、素晴らしいものを引き寄せます。
間違いを改めることは大きな善
ここまで読んで、自分の言葉で誰かを傷つけたのかを、ふと思うようになるかもしれません。取り返しのつかない過ちを犯したと感じ、自責の念に駆られるかもしれません。そこまで自分のことを責めないでください。完璧な人間になるのは難しいです。誰もが大小さまざまな問題を抱えています。生活や仕事で未知のことに直面すると、誰でも間違いを犯す可能性があります。
しかし、間違いには大小があります。なぜ大きな間違いを犯すのでしょうか?大きな間違いは許されるべきでしょうか?実は、大きな間違いは、改めなかった小さな間違いの積み重ねによって生じることが多いのです。つまり、「過ちを改めないこと」が大きな過ちの原因です。
『論語・衛霊公』には「過ちを犯しても改めないことこそ、真の過ちである①」という一説があるように、古代中国人は「過ち」と一般的な「間違い」を区別していました。
間違いを犯すことは恐れる必要はありません。大切なのは、常に自分を修正し続けることです。「誰が過ちをおこさないだろうか。過ちを改めれば、それ以上の善はない②」と古代中国人が言ったように、間違いを改めることは善の表れです。自分の不足を見つけ、他人を傷つける「柔らかいナイフ」を少しずつ捨てていけば、それは本当に大きな善の行いなのです。
他人を称賛の目で見よう
他人を称賛の目で見て、心から褒めると、世界が変わります。
英国の詩人ジョン・ミルトン氏は「心というものは、それ自身一つの独自の世界なのだ。地獄を天国に変え、天国を地獄に変えうるものなのだ」と書きました。ふとした思いが世界を変えます。感謝の気持ちで周囲と向き合えば、前向きなエネルギーで満たされた心は、より良い人生を選ぶ導きとなります。私たちの言葉も誠実な励ましや称賛となり、温かい循環を生み出します。
誰かを傷つけるのは簡単です。しかし、誰かを心から愛したいのなら、言葉を暖かい春風にしてみましょう。「柔らかいナイフ」ではなく、できるだけ美しい言葉で、相手の心に光を灯しましょう。家族、友達、さらには見ず知らずの人に、温かい言葉を贈りましょう。なぜなら、言葉の力は私たちの想像以上に強いからです。
一方、他人から悪意に満ちる言葉をかけられた時は、相手を変えることはできませんが、その影響を受けないことができます。真の強さは、罵詈雑言と正面で戦うことではなく、心の柔らかさと強さを保つことです。そして真の優しさは、心の氷を溶かし、前進する道を照らしてくれます。
註:
①中国語原文:「過而不改,是謂過矣。」(『論語・衛霊公』より)
②人誰無過,過而能改,善莫大焉。(『春秋左伝・宣公<宣公二年>』より)
(文・陳静/翻訳・慎吾)

