一、古代ローマ帝国の繁栄と滅亡

 古代ローマ文明は、紀元前753年のローマ建国から始まり、西暦476年の西ローマ帝国滅亡までの約1200年もの間、地中海全域を支配し、政治、文化、経済の中心として繁栄していました。ローマ帝国の最盛期は、地中海全域をほぼ完全に支配下に置き、ヨーロッパ、北アフリカ、西アジアの一部にまで領土を拡大していました。

 しかし、2世紀後半になると、かつて栄華を誇ったローマ帝国は衰退し、2世紀後半から3世紀半ばにかけて一連の大災厄に見舞われます。西暦395年になると、ローマ帝国は東西に分裂し、476年に西ローマ帝国は滅亡しました。

 ローマ帝国の滅亡は様々な要因が絡み合った結果ですが、神の懲罰を信じる人々にとっては、キリスト教徒に対する迫害が、ローマ帝国の衰退を招いた重要な要因の一つと見なされ、度々起きた天然痘やマラリアなどの疫病の流行は、神の怒りや天罰によるものだと考えられています。

二、キリスト教への迫害と疫病の蔓延

 当時のローマ帝国では、皇帝が神として崇拝されるのは一般的でした。キリスト教徒は、皇帝崇拝を拒否したため、ローマ帝国から激しい迫害を受けました。

1)ネロ帝

 ネロ帝(在位54年〜68年)は、ローマ帝国によるキリスト教の迫害を行った最初の皇帝として有名です。

「キリスト教殉教者の最後の祈り」(The Christian Martyrs’Last Prayer)(パブリック・ドメイン)

 西暦64年7月、ローマで大火が発生し、街の大部分が焼失しました。ネロ帝は大火災の原因をキリスト教徒の放火によるものだと決めつけ、キリスト教徒に罪を着せ、大規模な迫害を行いました。

 ネロ帝は捕らえたキリスト教徒を簡単な裁判で死刑に決め、猛獣の餌食にしたり、十字架にかけたり、松明代わりに燃やしたりしました。この時、ペテロは逆さ十字架にかけられて処刑され、パウロは斬首刑によって処刑されたと伝えられています。

 これらの残酷な迫害が、神の怒りを招いたのでしょうか。65年にはローマで大疫病が発生し、多くの人々が感染して亡くなり、68年にはローマで反乱が勃発したため、ネロ帝はローマから逃亡せざるを得なくなり、31歳で自害しました。

 その後、キリスト教はローマ帝国で非合法とされ、約300年間、様々な皇帝による迫害が継続的に行われました。

2)マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝

 マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝(在位161年〜180年)は、穏健で学識のあるローマ皇帝でしたが、キリスト教を迫害したことでも知られています。

 アウレリウス帝はキリスト教を異端とみなし、キリスト教徒を処罰する法律を制定し、キリスト教徒の信仰を公に否定することを求めました。アウレリウス帝の時代には、キリスト教徒が処刑されたり、投獄されたり、財産を没収されたりするなどの迫害が行われました。

 165年から180年頃にかけて、ローマ帝国は疫病に襲われました。この疫病は天然痘または麻疹によるものだと考えられ、15年間で500万人以上の死者を出しており、特に、兵士の死亡が顕著だったそうです。

 そして、皇帝のアウレリウス本人も、ドナウ川流域に遠征した際、疫病に感染し、180年に陣中で亡くなりました。後の学者たちは、この疫病を皇帝の名前にちなんで「アントニヌスの疫病」と名付けました。

3)デキウス帝

 デキウス帝(在位249年〜251年)は、ローマ帝国全土でキリスト教徒に対する組織的な迫害を行いました。

 デキウス帝は、すべてのローマ市民に対し、ローマの神々への供儀を義務付ける勅令を発します。この勅令を拒否したキリスト教徒は処罰の対象となり、迫害を受けました。多くのキリスト信徒は殺害され、また、多くの教徒は財産を没収され、奴隷にされました。

 249年、ローマ帝国で「キプリアヌスのペスト」と呼ばれる疫病が発生しました。この疫病は、16年間(249〜265)にわたってローマ帝国全土で猛威を振るい、1日の死亡者数は約5000人に達していたと記録されています。

 251年、デキウス帝は疫病にかかり、息子と共に死亡しました。

4)ディオクレティアヌス帝

 ディオクレティアヌス帝は、284年に即位し305年まで在位しました。303年に、彼はローマ帝国の最後で最大のキリスト教迫害を行いました。教会の破壊、聖書の焼却、財産の没収などの迫害が行われ、また多くの教徒が処刑されました。

 この時期にも疫病が大流行し、疫病の蔓延によって、都市の人口が減少し、経済活動も停滞しました。また、医療体制も整っていなかったため、多くの人々が治療を受けることができず、命を落としました。            

ジュール=エリー・ドローネー(フランス)1869年の画作「Peste à Rome ローマのペスト」(パブリック・ドメイン)

 ローマ帝国時代に、疫病は1000万人以上の命を奪ったと推測され、疫病の蔓延は、ローマ帝国の衰退を加速させました。

三、キリスト教の合法化

 コンスタンティヌス帝(在位306〜337)は、313年に「ミラノ勅令」を発布し、キリスト教を公認しました。これにより、それまで300年も続いていた迫害が終焉を迎え、キリスト教はローマ帝国内で自由に信仰されるようになりました。

 以下は、西暦313年に、ローマ皇帝コンスタンティヌスとリキニウスが発布した「ミラノ勅令」の一節です。

 「……私、皇帝コンスタンティヌスと、私、皇帝リキニウスは、ミラノで会合し、公共の利益と平和に関するあらゆる事柄を協議した際、多くの人々にとって有益であると考える他の事柄の中でも、まず第一に、神々に対する敬意を保つことが重要であると考えました。具体的には、キリスト教徒も他のすべての人も、自分が望む宗教を自由に信仰する権利を与えるべきだと考えました。……」(現代語訳)

 古代ローマ帝国のキリスト教迫害によって、多くのキリスト教徒が信仰のために命を落としました。しかし、迫害はキリスト教の広がりを阻止できませんでした。西暦300年頃のローマ帝国では、人口の約1割がキリスト教徒になっていたと言われています。

 西ローマ帝国は476年に滅亡しましたが、キリスト教はその後も広がり続け、ヨーロッパの文化や歴史に大きな影響を与え続けました。

四、ローマ帝国滅亡の教訓から学ぶべき中国

 約2000年前のローマ帝国における宗教迫害の歴史は、残念ながら今の中国で繰り返されています。

 1999年7月以来、中国共産党は「真、善、忍」を信仰する法輪功学習者に対して、大規模な弾圧を始めました。信仰の放棄を拒否する法輪功学習者は、強制収容所や刑務所に収監され、その人数は数百万にも及ぶと推測されています。さらに、法輪功学習者から強制的に臓器を摘出して売買するという国家犯罪も行われ、しかも、それが今も継続しているのです。

 2019年の12月に中国武漢から始まった新型コロナウイルス感染症は、世界中で猛威を振るい、多くの感染者が発生し、多くの死者を出しました。あれから5年立った今でも、人々は依然としてコロナウイルスに脅かされています。コロナパンデミックの発生は決して偶然なことではありません。それは中国共産党が「真、善、忍」を信仰する法輪功学習者への迫害と密接な関係があり、「神の怒りの表れ」だと思われます。

 現在、中共政権は内憂外患の苦境に陥り、激しい権力闘争が繰り広げられ、重大な岐路に立たされています。今の中共指導部にとって、活路を見出す唯一の方法は、ローマ帝国滅亡の教訓から学び、ローマのコンスタンティヌス帝の行動を模範とし、神の意思に従い、神に懺悔し、中国国民に信仰の自由を与え、中国を普遍的な価値観を持つ自由な社会にする以外にないのではないでしょうか。

(文・一心)