近ごろ、中国のインターネット上では「2025年の月収6000元は、1980年代のいくらに相当するのか?」という興味深い話題が注目を集めています。一見すると単純な比較のようにも思えますが、実際には物価の変動や給与体系、社会コスト、そして人々の心理的な変化など、さまざまな要素が絡み合い、単なる数字だけでは語れない複雑な問題となっています。

 まず、当時の給与水準に目を向けてみましょう。1980年代の中国では、一般的な労働者の月給は50元から80元程度、技能を持つ労働者は80元から120元、幹部や管理職では100元から200元とされていました。1985年の統計によると、国有企業の従業員の年間平均収入は約1213元、集団所有制の企業では約968元、私営や外資系企業では2000元近くに達する場合もあったようです。

 一方で、当時の物価は今と比べると非常に安価でした。たとえば米は1斤(約500g)で0.17元、豚肉は0.95元、卵は0.45元といった水準です。現在では、それぞれおおよそ3元、25元、6元前後となっており、食品価格は15倍から25倍ほど上昇しています。消費者物価指数(CPI)に基づくと、1981年から2024年までのインフレ率は平均4.6%で、物価全体は約5.5倍に膨らんだと推定されています。

 こうしたデータをもとに試算すると、2025年の月収6000元は、CPIベースで見ると1980年代の1100元程度、食品価格の上昇率に換算すれば約300元ほどに相当すると考えられます。つまり、「6000元 ≒ 240~400元」とする一部の計算はやや控えめで、より妥当な幅としては300元から1100元の間に収まる可能性が高いといえそうです。

 しかしながら、多くの人々が口にするのは「今のほうが生活が厳しい」という実感です。「昔のほうが安心して暮らせた」「今はお金があっても常に不安がつきまとう」といった声も少なくありません。あるネットユーザーは「父は1980年代に月給80元で暮らしていたが、私は月収6000元でもあの頃の父ほど余裕を感じられない」と語っていました。

 その背景には、単なる物価の上昇だけではなく、生活構造そのものの変化があります。特に「住居・教育・医療」という三つの負担が家計に重くのしかかっています。1980年代には多くの人が勤務先から住まいを支給されており、住宅コストはほぼゼロに近いものでした。しかし今では都市部でマンションを購入するには数百万元が必要で、頭金だけでも数十万元に上ります。大学の年間学費も、当時は100元ほどで済んでいましたが、現在では学費と生活費を合わせて10万元を超えることも珍しくありません。医療についても、かつては公費制度が整っており基本的な診療は無料でしたが、現在は保険があっても自己負担が大きく、重い病気になれば何万元もの出費が発生するケースもあります。

 さらに、消費スタイルの変化も無視できません。1980年代は、衣食住が満たされれば十分と感じる人が大多数でした。しかし現代では、デジタル機器、旅行、フィットネス、美容、ペット、レジャーなど、生活の選択肢が多様化し、それに伴って支出も際限なく膨らんでいます。生活が豊かになったように見えても、可処分所得が思ったほど残らず、収入の割に「使えるお金」が少ないと感じる人が多いのが実情です。

 そしてもう一つの大きな違いは、雇用の安定性です。1980年代には大学を卒業すれば国家から職場が割り当てられ、定年まで働ける「鉄飯碗(安定した職)」が当たり前でした。しかし現在では、解雇や転職が日常化し、職場の流動性が非常に高くなっています。特に40代以降の中高年層は、再就職の難しさや年収の低下といったリスクに直面し、精神的なプレッシャーも大きくなっています。

 人々が懐かしんでいるのは、当時の給与の額というよりも、生活全体に漂っていた「安心感」なのかもしれません。競争は今ほど激しくなく、物欲もさほど強くなく、シンプルな暮らしの中で心に余裕があった——そんな時代の感覚が、今ではむしろ贅沢と映るのです。

 マクロの視点で見ると、2025年現在、中国の都市部における平均月収は1万元を超えています。表面的には収入が増えているように見えますが、住宅価格や教育費、医療費の上昇により、実際の可処分所得は大きく圧迫されています。さらに、新型コロナウイルスの影響や物流の混乱、アフリカ豚熱などの要因で食品価格が急騰し、生活コストはCPI以上の水準に跳ね上がっています。

 つまり、「給与は何倍にもなった」が、「生活の負担も何倍にもなった」というのが、多くの中国人が直面している現実です。6000元の月収は、かつての何倍にも相当する水準であるにもかかわらず、それでも日々の暮らしに不安を抱え、ギリギリでやりくりしている人が少なくありません。「収入は増えたが、心の余裕は減った」という言葉が、多くの共感を呼んでいるのはそのためです。

 今の時代を生きる私たちにとって、必要なのは「過去を懐かしむ」ことではなく、複雑化した社会のなかで自分なりの「防衛線」を築くことかもしれません。スキルを磨き、収入源を分散させ、緊急時の備えを整え、支出を見直すことで、再び「生活を自分でコントロールできている」という実感と心の安定を取り戻すことができるのではないでしょうか。

(翻訳・吉原木子)