2025年春から夏にかけて、中国の新エネルギー車市場で、圧倒的シェアを誇ってきたBYDは、わずか数か月のうちに、複合的な危機へ追い込まれました。4月中旬、山東省最大の正規ディーラーである乾城グループが、資金繰りに行き詰まり、済南や濰坊など20余りの4S店(販売・修理・部品・情報を一体化した拠点)が、突如閉鎖されました。
ショールームは一夜にして無人となり、車両登録に必要な合格証明書も金融機関へ担保として差し出されていました。その結果、新車を購入したばかりのオーナーはナンバープレートを取得できず、公道を走ることさえできませんでした。さらに3年分のメンテナンス費や延長保証の前払い金を回収できなくなった被害者たちが店舗前で抗議の横断幕を掲げる映像がSNSで瞬く間に拡散し、BYDのブランドイメージに大きな亀裂が入りました。本社は乾城側の過度なレバレッジ経営が主因だと説明し、近隣ディーラーにサービスを引き継ぐよう要請して火消しに努めましたが、消費者の信頼は簡単には戻りませんでした。
混乱が収束しないまま5月23日、BYDは期間限定のワンプライス施策を発表し、22車種を対象に最大34%の値下げを断行しました。エントリーモデルの海鴎は69,800元から55,800元へ約20%下がり、スポーティーセダンの海豹デュアルモーター版は155,800元から102,800元へ一気に53,000元も値下げされました。既存オーナーからは「早く買った人ほど損をする」という嘆きが上がり、これを合図に中国国内ではわずか数日で100を超える新エネ車モデルが追随値下げを実施しました。30,000元台(約60万円強)まで価格が落ちた超小型EVも登場し、価格競争は急速に深刻化しました。
しかし急激な値下げは即座に販売増へ結びつきませんでした。全国乗用車市場情報連合会の統計によると、4月のディーラー在庫係数は1.70、在庫日数に換算すると57日相当で、2023年12月以来の高水準となりました。河南や広西では登録されずに放置された大量の新車が屋外に並ぶ「自動車の墓場」を空撮した映像が相次いで投稿され、市場の需要鈍化を象徴する出来事として広がっています。
株式市場の反応も敏感でした。BYD株は6月第1週に5営業日連続で下落し、時価総額は累計で200億ドル超失われました。モルガン・スタンレーのアナリスト蕭博廷氏は、価格競争が長期化すれば業界平均利益率が4%を割り込む恐れがあると指摘し、BYDの自動車部門の粗利益率が短期的に低下すると予測しました。一方でフォルクスワーゲン、BMW、メルセデス・ベンツなど欧州勢は「大幅値下げはブランド価値を損なう」として慎重姿勢を崩さず、中国販売台数が減少する悪循環に陥っています。
無制限の値下げ競争に対する懸念は政府にも広がりました。6月上旬、工業情報化部と国家発展改革委員会、国家市場監督管理総局の3省庁はBYD、吉利、小米など主要メーカー幹部を呼び出し、「コストを下回る叩き売りは市場秩序を乱す」と厳重に注意しました。不当な価格競争や誇大広告への取り締まり強化も示され、中国汽車工業協会は「コスト以下の価格設定や虚偽宣伝に反対する」と声明を出しています。
値下げの余波は部品サプライヤーへも連鎖しました。電池セル、モーター、ワイヤーハーネスをはじめとする一次・二次サプライヤーでは、完成車メーカーから支払サイトを30日延長されたり、追加値下げを求められたりする事例が相次いでいます。資金力の弱い中小企業は運転資金の確保に追われ、生産ライン稼働率を下げたり一時解雇に踏み切ったりするケースが目立ちます。業界全体の純利益率は2024年に4.3%まで低下し、2025年1〜4月には3.9%に縮小しました。資本力で優位に立つBYDでさえ、値下げを続ければキャッシュフローが細り、高額な研究開発費を維持できるかが中長期的課題となります。
消費動向にも変調が見えます。5月の新エネルギー車およびハイブリッド車の小売販売は前年同月比28.2%増で、4月の33.9%増を下回りました。販売ランキングでは4月に首位だった海鴎が、5月には吉利汽車の星願に抜かれています。スマートフォン大手の小米は初のEV「SU7」でソフトウェア体験と車載OSを武器に差別化を図り、既存メーカーに強いプレッシャーをかけています。こうしてハードだけでなくソフトとサービスの総合力が購買動機となる中、単純な価格競争では消費者の心をつなぎ止めにくくなっています。
海外市場も予断を許しません。欧州連合は中国製EVに対する補助金調査を継続し、将来的に関税引き上げや数量規制を導入する可能性があります。輸出がリスクにさらされる一方で、工業情報化部など5省庁は新エネルギー車の農村普及キャンペーンを再始動し、郷鎮レベルの購入者に税制優遇や充電インフラ補助を組み合わせる方針を示しました。とはいえ農村部の購買力やインフラ整備の遅れを考えると、高価格帯モデルの在庫圧力を根本的に解消する特効薬にはなりにくいという見方が根強いです。
BYDが選んだ大幅値下げは短期的にシェアを確保できても、値下げ、在庫増、利益減の悪循環を招きかねません。今回の値引きは6月末までの期間限定とされていますが、消費者心理は一度次の値下げを待つ姿勢に傾くと戻りにくく、購入先送りの現象がすでに観測されています。競争が長期化すればディーラーの資金繰りはさらに悪化し、乾城グループのような倒産が他地域へ波及するリスクも否定できません。
投資家が注目するのは台数の多寡ではなく持続可能な収益構造です。BYDはバッテリーから半導体まで垂直統合してコスト優位を築いていますが、ブランド信頼の傷と販売網の混乱が長引けばその優位も薄れかねません。技術革新によって新たな付加価値を示せれば単価回復と利益再拡大の道は残されています。実際、BYDは次世代ブレードバッテリーのコバルトフリー化や800ボルト高電圧プラットフォームに注力し、コスト削減と急速充電を両立させる戦略を掲げています。価格以外の選択基準を市場に提示できるかどうかが今後の帰趨を決める試金石となるでしょう。
(翻訳・吉原木子)
