2025年5月、中国では再び新型コロナウイルスの感染が拡大し、「ゼロコロナ政策」の復活を懸念する声が高まっています。中国政府の公式発表によれば、4月の新規感染確認数は168,507件、重症者340人、死亡者9人に達しました。全国の指定医療機関における外来および救急患者の中での陽性率は、4月初めの7.5%から5月初旬には16.2%に急上昇し、入院患者における陽性率も6.3%に達しています。新型コロナは3週連続でインフルエンザ様症状の外来患者の中で最多の原因となっており、感染再拡大への懸念が強まっています。
こうした状況の中、SNSに投稿されたある動画が大きな注目を集めました。5月21日、上海浦東新区のある工事現場で停車中のトラックに、「下車禁止」と書かれた封印紙が貼られており、運転手が車内に閉じ込められている様子が映っていました。運転手は「感染防止のために下車を禁じられている」と説明され、封印には2025年5月21日の日付が明記されています。運転手は動画の中で「また始まった。下車もできない。これは違法ではないのか」と不安を漏らしました。この動画に対しては、「再び封鎖の悪夢が戻ってきた」「このまま何も言わなければ、永遠に服従させられる」といった怒りのコメントが相次ぎました。
「すでに『防疫に勝利した』と宣言していたはずなのに、なぜまた極端な統制が行われているのか?」という疑問は、多くの中国市民の心に深く響いています。そしてこの疑問は、単なる不安ではなく、過去3年間にわたり人々が経験してきた深刻な記憶に基づいています。新型コロナの感染そのものよりも、「防疫」という名の下で行われた過剰な封鎖、強制隔離、自由の制限こそが、多くの「二次的被害」を引き起こしました。
2020年初頭、武漢は世界で初めて都市封鎖を実施した都市となり、76日間にわたり厳しい外出制限と交通遮断が行われました。当時は医療物資の不足が深刻で、医療従事者によるSNSでの助けを求める投稿が相次ぎ、病院内では遺体が長時間放置されるという事態も発生していました。
2022年3月には、上海が都市全体で封鎖され、住民たちは深刻な物資不足に直面しました。一部の地域では、生活物資が市民に届かず、代わりに地元の住民委員会が支援物資を不正に販売しているとの疑惑が浮上し、住民と警察が衝突する事態となりました。
当時は、「1人の感染者が出れば、その建物全体の住民を一括で隔離施設に移送する」という方針も取られ、社会に強い動揺をもたらしました。ある動画では、PCR検査で陰性だった夫婦が「感染者との接触があった可能性がある」とされ、強制的に移送されそうになっていました。防護服を着た当局者は「拒否すれば処罰を受け、今後の就業や子どもの進学などにも不利益が及ぶ」と発言しました。これに対し、男性は毅然とした態度で「私たちが『最後の世代』だ。どうも」と応じ、その言葉はネット上で広く拡散されました。
都市部だけでなく、物流業界にも深刻な影響が及びました。多くのトラック運転手たちが突然の政策変更によって高速道路上で足止めされ、何日間も車内で食事や排泄をせざるを得ない状況に追い込まれました。ある運転手は、動画の中で泣きながら訴えました。「私たち運転手は、いったい何の罪を犯したというのですか?これは明らかに人権侵害です!」
さらに、2022年9月18日未明には、貴州省の南部で隔離移送中のバスが転倒する事故が発生しました。バスには新型コロナの「感染者との接触が疑われる人々(いわゆる密接または準密接接触者)」47人が乗っており、深夜2時過ぎに移送されている最中の事故で、27人が死亡し、20人が負傷しました。地元政府は「感染拡大を防ぐための移送だった」と説明しましたが、過剰な対応に疑問を抱く市民の声が噴出しました。
同年11月24日には、新疆ウイグル自治区のウルムチ市で3か月以上にわたって封鎖が続いていた集合住宅で火災が発生しました。当時、出入口は鉄線で封鎖されており、住民たちは逃げ場を失い、火災によって10人が死亡、9人が負傷しました。建物内からは「助けて!外に出して!」という叫び声が聞こえ、多くの人々がショックを受けました。
この火災が引き金となり、中国各地で市民の抗議活動が急速に広がりました。11月26日の深夜、上海の「ウルムチ中路」では数千人の市民が自然発生的に集まり、「共産党は退陣せよ」「習近平は退陣せよ」「自由を!ロックダウン解除を!」と声を上げました。この「白紙運動」は瞬く間に全国21の省と200以上の大学に波及し、現代中国ではまれに見る大規模な抗議運動となりました。最終的に、政府は世論の圧力に屈し、12月7日に「新十条」を発表し、「ゼロコロナ」政策は事実上の終了となりました。
しかし、この歴史は「過去」として片づけられるものではありません。あの3年間の封鎖が人々にもたらした傷は今も癒えていないのです。暮らしや命を奪われた人々、人生の道を変えざるを得なかった人々が数多く存在します。
かつて中国国内で成功していた民間企業家の孟軍さんは、封鎖によって義理の父が救急治療を受けられずに亡くなり、自らの会社も経営が立ち行かなくなり、最終的にはアメリカへの移住を決断しました。「30年以上かけて築き上げた事業と生活が、一瞬で崩れ去りました。原因は明らかに中共の防疫政策でした」と彼は語ります。
さらに孟さんは、こうも述べました。「このパンデミックの真相については、いまだに誰も説明責任を果たしていません。WHOやアメリカが調査を求めても、中国政府はずっとはぐらかしてきました。本来であれば、これは国際社会から中国共産党に対して責任追及がなされるべき重大な問題です。」
そして今、感染者数が再び増加し、トラックに貼られた「下車禁止」の封印、感染対策という曖昧な名目での行動制限――これらは、あの悪夢のような時代が本当に終わったのかという問いを再び突きつけています。
市民が恐れているのは、もはやウイルスそのものではありません。「感染防止」という名のもとに、国家権力が再び生活の自由を奪いかねないという現実です。あの白紙、あの封鎖、あの「PCR検査を受けてください」というアナウンスが、また日常に戻ってくるのではないか、その不安は消えていません。
歴史は果たして本当に終わったのでしょうか? それとも、再演のタイミングを静かに待っているだけなのでしょうか? それが、いま多くの中国市民が密かに自問していることなのです。
(翻訳・吉原木子)
