(絵:志清/看中国)

 北宋には張慶という人物がいた。司法の役所に勤め、ことごとく自らものごとをこなし、几帳面で、品行を慎んでいた。彼はしばしば自ら手錠などの戒具を洗い、夏場のいちばん暑い日には拘禁された犯人に対し、「ここに囚われていることは不本意だと承知している、なおさら衛生に気をつけるべきだ」と気遣った。

 張慶は経文を読むのが好きで、普段からねんごろに読んでいる。死刑犯が受刑された際には一ヶ月お経を唱え、精進料理を食べるのだ。1038年に京の都で疫病が蔓延した際、張慶の妻である袁氏が疫病を患ってしまい、そのまま死去したが、なんと3日後に生き返った。

 袁氏曰く、あの世ですらりとした体型で、白衣を着た容姿端麗な者に会った。その者に「そなたの夫は一生善の行いをし、徳を多く積み、子孫繁盛するだろう。まだ子どもをも授かっていない身でここ(地獄)へ来てはいかん」と言われてから、足を掴まれて投げ出された。その後袁氏は生き返ったのだ。

 二年目に袁氏は息子を授かり、亨と名づけた。亨が生まれて3日後、ある道士が張慶の家の前にやってきて、張慶は道士を快く家の中に迎え入れた。道士は「お前はもともと子孫がいないはずなのに、赤ん坊の泣き声が聞こえたのはもしかしたらお前の子か」と尋ねた。張慶は妻の身に起きた事を如実に伝えた。道士はうなずきながら、「なるほど、善い行いゆえの徳だ。赤ん坊の泣き声を聞けば、お前の子孫には出世する人もいるのだ。徳を守るといい」と言い残して去った。

 張慶は83歳に疾病を患うことなく世を去り、彼の息子である亨は六品(官僚の位)の武官となり、出世を果たし、さらに亨の息子も同じく出世して、世に名が響き渡った。人々は善悪の報いが本当であることと口々に言い伝えた。

出典:(元)葉留 編集『為政善報事類』卷五の「善佑可必」

(文・魏仁/翻訳・北条)