2019年に新型コロナウイルスが世界中に拡大して以来、各国の経済は深刻な打撃を受けてきました。中でも、中国は厳格なゼロコロナ政策によって、多くの企業や工場が相次いで倒産し、経済に大きな影響を受けました。さらに、国内の政治的不安定さが増し、周辺国や欧米諸国との関係が悪化したことにより、多くの外資企業が中国から撤退し、経済の低迷が一層深刻化しました。

 「看中国」は中国経済に関する多くのニュースを報道してきました。各種データ分析、政策解説、中国国内のネットユーザーの声を取り上げる中で、現在の中国経済の厳しい状況を示す多くの証拠が明らかになっています。しかし、視聴者からはしばしば次のような疑問が寄せられます。」

 「報道では中国経済が低迷していると言われていますが、なぜ今でも多くの中国人観光客が日本を訪れているのですか?」
 「私の中国人の友人は、経済の衰退を全く感じていないと言っています。」
 「私は中国のある都市に住んでいますが、最近ショッピングモールに行ったら人で溢れかえっていました。」

 それでは、「看中国」の報道には偏りがあるのでしょうか?それとも、中国経済を意図的に悪く伝えているのでしょうか?この疑問に答える前に、一つの歴史的事例を振り返ってみたいと思います。

 755年から763年にかけて、中国では歴史上有名な「安史の乱」が発生しました。ハーバード大学の教授であるスティーブン・ピンカー氏は、世界史上最も人口死亡率が高かった18の戦争を比較し、20世紀の人口規模に換算して分析しました。その結果、歴史上最も残酷な戦争は第二次世界大戦ではなく、唐王朝時代に起こった安史の乱であることが判明しました。

 この戦争は7年以上続き、およそ3600万人が死亡しました。これは、第一次世界大戦(1500万人)の2倍以上の犠牲者数であり、第二次世界大戦(5500万人)やモンゴル帝国の征西(4000万人)に次ぐ規模です。安史の乱発生当時、世界の総人口はわずか2億人程度でしたが、第二次世界大戦時の世界人口は26億人に達していました。仮に20世紀の人口規模に換算すると、4億2900万人が消滅したことに相当します。

 この戦乱は甚大な人的被害をもたらしただけでなく、中国の歴史の流れを大きく変えました。多くの歴史学者は、この戦争を唐王朝、ひいては中国全体の歴史の転換点とみなしています。しかし、この未曾有の災厄の中でも、地域によって全く異なる光景が広がっていました。

 『新唐書』によると、山西省睢陽(すいよう)城は敵に包囲され、張巡(ちょうじゅん)・許遠(きょえん)らの守将が命がけで城を守りましたが、ついには食糧が尽き、共食いが発生しました。最終的に城は陥落し、元々3万人いた睢陽の住民のうち、生き残ったのはわずか400人でした。

 一方、同じ時期の四川では全く異なる状況が広がっていました。唐玄宗が戦乱を避けるために成都へ逃れたため、四川は中原の避難地となり、経済が急速に発展しました。唐王朝の制度では、皇帝が滞在する場所を「京」と呼ぶため、成都は一時的に「南京」とされ、繁栄を極めました。当時、「揚州第一、益州(四川)第二」という言葉があり、中国全土の都市の中で、揚州が第一位、成都が第二位の繁華街として栄えたとされています。

 もし私たちがこの時代にタイムスリップし、成都の街並みを見たなら、豪華な宮殿や賑わう商店街を目の当たりにするでしょう。そして同時に、「睢陽の3万人の住民のうち、生き残ったのは400人」という前線の悲報を耳にするかもしれません。このような光景を目の当たりにしたとき、私たちは疑問に思うのではないでしょうか。「この繁栄と戦争の惨状は、果たしてどちらが現実なのか?」

 中国は改革開放後、急速な経済成長を遂げました。2001年末にWTOに加盟したことで、経済は飛躍的に発展し、2021年までの20年間でGDPは8倍に拡大しました。世界第二位の経済大国となり、世界経済に占める割合は2001年の4%から2020年には17.4%にまで増加しました。同期の貨物輸出額も7倍以上に成長し、世界最大の貿易国となりました。こうした発展の中で、多くの富裕層が誕生し、中国経済はかつてない繁栄を迎えたかのように見えました。

 しかし、米中貿易戦争、新型コロナの感染拡大、中国と周辺国および欧米諸国との関係悪化、さらには国内の政治的混乱により、経済の低迷はもはや明白となっています。中国政府もそれを否定できず、GDPが全国1位の広東省でさえ、2年連続で5%の経済成長目標を達成できませんでした。さらに、外部の観測によると、中国政府は経済の不利な側面を隠す傾向があり、実際の状況は公式発表よりも深刻である可能性が高いとされています。

 しかし、経済の低迷はすべての人に均等に影響を与えるわけではなく、異なる階層によって感じ方は大きく異なります。それこそが、一方では多くの中国人がネット上で生活の困窮や失業の苦しみを訴えている一方で、他方では依然として高級ショッピングモールに出入りし、海外旅行を楽しんでいる人々がいる理由でもあります。

 中国には「百足之虫、死而不僵(ムカデは死んでもすぐには動きを止めない)」ということわざがあります。つまり、ある物事がすでに衰退していたとしても、一定の期間は表面的な繁栄を維持することができるという意味です。中国国家統計局のデータによると、2024年末時点で中国の総人口は14億800万人です。仮に経済が悪化する中でも、資産が減少しつつも生活水準に影響を受けない富裕層が1%存在するとすれば、その数は1400万人にも達します。

 では、これらの繁栄の光景は本物なのか、それとも虚構なのでしょうか?その答えを探るために、最近の中国の長期休暇における旅行消費データを見てみます。2024年10月のゴールデンウィーク期間中、中国国内の旅行者数は7億6500万人に達し、2019年の同時期と比較して10.2%増加しました。しかし、旅行支出の総額はわずか7.9%の増加にとどまりました。ブルームバーグが中国文化観光部のデータをもとに算出したところ、一人当たりの旅行支出は2019年比で2.1%減少していることが判明しました。つまり、旅行する人は増えましたが、消費額は減少しているのです。

 「経済が悪化しているなら、なぜこれほど多くの人が旅行に行くのか?お金を貯めるべきではないのか?」と疑問に思う人もいるかもしれません。この問いに対し、人それぞれ異なる見解を持つでしょう。しかし、ある中国人ネットユーザーのコメントがこの現象をよく表しています。「経済が悪い今こそ、節約しながら生活するべきなのは当然です。でも、それでも少しはお金を使って外に出て、生活のストレスを解消したいのです。」この言葉は、消費の動機が必ずしも経済的余裕に基づいているわけではなく、心理的な要素が大きく影響していることを示しています。

 一方で、中国の中産階級の生活も決して楽ではありません。表面的には生活に大きな影響は出ていないように見えるかもしれませんが、深刻な不動産危機が続いており、彼らの資産価値は大幅に下落しています。これまで「安定した投資」とされてきた不動産の価値が急落し、将来の経済的不安が増大しています。そして、最も顕著な傾向の一つとして、中国の富裕層が次々と国外へ資産を移し始めています。

 投資移民コンサルティング企業「Henley & Partners」の最新報告によると、2024年には資産100万ドル以上を持つ富裕層1万5200人が中国を離れると推定されています。これは、中国が3年連続で「世界で最も富裕層が流出している国」になったことを意味します。これらの現象はすべて、同じ結論を指し示しています。つまり、中国経済の危機は徐々に社会のあらゆる層へと波及しているということです。

 YouTube の時事評論家である文昭氏は、都市の衰退は一夜にして起こるものではなく、周辺部から徐々に中心へと浸透していくものだと指摘しています。最初は都市の郊外や低所得層の間で経済の悪化が見られますが、中心部に住む人々はしばらくの間それに気づきません。しかし、衰退がじわじわと拡がり、ついには都市の中心部にまで達すると、多くの人が初めて経済の全面的な低迷を実感することになります。

 情報が溢れる現代では、私たちは一つの都市や国について、簡単にさまざまな情報を手に入れることができます。その中には良いニュースもあれば、悪いニュースもあります。しかし、個々の断片的な情報に惑わされるのではなく、全体の趨勢を見極めることこそが重要です。

 局所的な勝利は、全体の衰退を覆すことはできません。例えば、1944年の冬、ドイツ軍はバルジの戦いで一時的に連合軍の防衛線を突破し、ベルギーの要所を占領し、連合軍を押し返しました。しかし、この一時的な勝利はドイツの運命を変えることはできませんでした。わずか数カ月後、ドイツは敗北し、戦争は終結しました。

 同じように、私たちは目の前の経済データや社会現象を見る際に、表面的な動きだけに惑わされるのではなく、より深い部分に目を向けるべきです。短期的な繁栄の影に隠れた大きな流れを捉えることができなければ、現実を見誤ることになるでしょう。

(翻訳・吉原木子)