2026年5月25日、深セン市民センター広場の前に、スーツにネクタイ姿の若者が現れました。彼の名前は孟さん(モン・カカ)。TikTokで活動する、ごく普通のネットブロガーです。この日、彼は極めて異例な方法で自らの思いを表明しました。深セン市政府庁舎の前に立ち、カメラに向かって厳かにこう宣言したのです。「私は深セン市長に立候補したい。深センの底辺で生きる人たちの声を代弁したい」
彼は、この華やかな都市の裏側を見てきたといいます。「腰を曲げてゴミを拾う高齢者、路上で寝泊まりするホームレス、繁栄の陰で、必死にもがきながら生きる無数の人々」。そうした現実を、見て見ぬふりはできなかったのです。
「これは、この時代を生きる者の責任感だ。すべての若者が持つべきものだと思う」と語ると、彼は行政サービスセンターの窓口へ向かいました。市長選に立候補するための資格や手続きについて、具体的に尋ねるためでした。しかし、そこで待っていたのは予想外の反応でした。職員たちは互いに顔を見合わせるばかりで、誰一人として答えることができませんでした。「分かりません」と誰もがそう口にしたのです。孟さんは再び庁舎の前に戻り、その結果も視聴者に向けて配信しました。その2日後の5月27日、彼のTikTok(中国版)アカウントは凍結されました。プラットフォーム側が示した理由は、「TikTokコミュニティ自主規約に関連する規定への違反」でした。
深セン市は中国共産党の副省級都市に位置づけられており、市長は副省部級の高級幹部にあたります。その人事は中国共産党中央によって直接決定されます。この制度の下では、孟さんの問いに最初から答えなど存在しませんでした。職員が知らなかったのではありません。そもそも選挙という手続き自体が存在しないのです。周知のとおり、中国共産党には真の意味での民選による官僚制度は存在しません。末端レベルの村の幹部や県・区の人民代表大会代表の直接選挙でさえ、政治的な選別を経て行われます。これまでにも、人民代表への立候補を公に表明したり、独立候補として活動したりした中国市民が、厳しい弾圧を受けてきました。
2021年10月15日、「709人権派弁護士事件」の被害者家族である王峭嶺(ワン・チャオリン)や李文足(リー・ウェンズー)ら、北京市民14人は、北京市の区・県人民代表大会代表選挙に独立候補として参加すると発表しました。しかし、この合法的な市民活動に対して、中国当局は脅したり、取り込もうとしたりしながら、人身の自由まで制限しました。独立候補者14人のうち10人が、当局からの厳しい圧力を受け、すべての選挙活動を中止せざるを得なくなりました。
孟さん自身も、こうした現実を知らなかったわけではないのかもしれません。多くのネットユーザーは、彼がこの動画を投稿したのは、別の形で中国共産党の権威主義体制を風刺し、若者たちに自由や民主主義への責任感を呼び覚まそうとしたのではないかと見ています。最近では、現実への不満を半ば公然と表現するため、さまざまなパフォーマンスアートのような手法を用いる中国の若者も増えています。しかし、そのすべては、アカウントが凍結された瞬間に突然終わりを迎えました。
このニュースは海外にも伝わり、Xでは大きな議論を呼びました。
「中国には、この国のために何かをしたいと思っている若者がたくさんいる。国をもっと良くしたい、社会の底辺にいる人たちを救いたいと願っている。なぜなら、彼らは善良で、人としての良心を持っているからだ。私には分かる。彼ら自身も、弱い立場の人々を互いに傷つけ合わせるようなこの政権に、心のどこかで嫌悪感を抱いているのだ。民主国家であれば、公職に立候補するための条件は公開されており、条件を満たした人なら誰でも立候補できる。そして市民は自らの一票で次の統治者を選ぶ。本来、それは呼吸をするのと同じくらい自然で、当たり前のことのはずだ」
「市長選に出るって? TikTokのアカウントすら復活できないのに。中国の制度はこういうものだ。まず公務員になり、一段ずつ出世して体制と一体化していく。そうして初めて、北京の上層部は一つの都市を任せられると判断する。結局は、血筋やつながりがすべてなんだ」
「中国共産党から見れば、これは反乱と大差ないんじゃないか」
孟さんの無謀とも言える行動は、検閲によって覆い隠されてきた現実を改めて浮かび上がらせました。年金制度の貧弱さ、消費への不安と階層格差への焦り、若者たちが抱える生きることへの無力感。最終的に当局が彼の発言の場そのものを閉ざしたとき、人々が本当に失ったものは、一人のインフルエンサーではなかったのかもしれません。それは、雑音も矛盾も、不器用な言葉も、生々しい感情も受け止められる公共の空間でした。公共の表現の境界は少しずつ狭められ、消されていくのは一つのアカウントではなく、本来なら存在し得たはずの対話そのものなのです。
孟さんは「これは時代の責任感だ」と言いました。この言葉は、別の若者、別の時代を思い起こさせます。1989年、北京、天安門広場。赤い鉢巻きを頭に巻いた一人の学生が、自転車に乗って広場へ向かおうとしていました。抗議活動に参加するためでした。その途中、カメラマンが彼を呼び止めます。「なぜ行くのですか?」すると学生は笑顔を浮かべ、片手を振りながら、英語でこう答えました。「Why? I think it’s my duty.」日本語にすると、「なぜかって? だって、これは私の責任だから」という意味です。この場面は、2019年にBBCが制作した六四天安門事件のドキュメンタリーに収録され、その後、あの時代を象徴する最も胸を打つ映像の一つとなりました。この学生の名前は今も明らかになっていません。しかし、彼が残したこの一言は、天安門事件を記憶する人々の間で、毎年の追悼のたびに静かに語り継がれています。
しかし、その言葉さえも検閲から逃れることはできませんでした。中国本土では、「これは私の責任だ」も「It’s my duty」も、すでに検索できない言葉となっています。天安門事件の追悼の時期が近づくたび、ネットユーザーたちは自転車の絵文字や遠回しな表現、数字の語呂合わせなどを使い、厳しい検閲の隙間に記憶を託しています。
中国の政治環境を変えられるという確信が薄れていく中でも、若者たちが再び街頭に立つとき、あの聞き覚えのある言葉は何度でもよみがえります。2022年末の「白紙革命」で、無言のまま白紙を掲げた若者たちのように。1989年、あの学生が自転車で広場へ向かった先に待っていたのは、銃声と弾圧でした。2026年、孟さんが政府庁舎のロビーへ足を踏み入れた先に待っていたのは、職員たちの戸惑った視線と、2日後に静かに消えた自分のアカウントでした。時代は違っても、結末はどこか似ています。二人の若者は、ともに「これは私の責任だ」と口にしたことで、代償を払うことになりました。
違うのは、1989年の学生は自ら広場へ向かったことです。そして2026年の孟さんは、ただライブ配信を立ち上げ、政府庁舎の前に立ち、民主社会であればごく当たり前に投げかけられるはずの問いを口にしただけでした。それでもなお、その問いには今も答えが存在しないのです。
(翻訳・藍彧)
