人生は旅のようなもので、途中で目にする風景は美しいが、すべてを持ち去ることはできないからだ。(イメージ / Pixabay CC0 1.0)

 先生が教壇から生徒たちに「今日は『誰があなたのこの人生の道程を共にしているか?』討議してみましょう。誰か一人に登壇して貰い、いつも誰と一緒にいるのか黒板に書いて貰います」と言った。

 すると一人の女生徒が自ら登壇し、幸せそうに、両親・祖父・祖母・おば・いとこ・友人・同級生・同僚・隣人等と書いた。

 先生は次に「この中であなたにとって一番重要ではない人を消して下さい」と言った。彼女は“同僚”の文字を消した。先生は又「さらに一人を消して下さい」と言った。彼女は次に“隣人”を消した。一人ずつ次々と消した後、黒板には “父”、“母”、“夫”と“息子”だけが残った。この時、静かになった教室では、生徒達が「これは本当に深刻な探索ですね」とささやき合っていた。

 更に先生は冷静に「もう一人消して下さい」と言った。この女生徒は躊躇しながら苦労して選択し“父”の文字を消した。「もう一人消して下さい」彼女の耳にまた先生の声が入って来た。すると、彼女はとても苦しそうに“母”を消した。先生は彼女が落ち着くのを待ち再び「もう一人消して下さい。」と言った。

夫にも自分の交際や仕事があり、常に私と一緒にいるようには頼めないでしょう。(イメージ / Pixabay CC0 1.0)

 その瞬間、彼女は厳かに“夫”を消し、続けて涙で目を潤ませながら“息子”も消したので、とうとう黒板には誰も居なくなってしまった。先生は彼女に「なぜ彼ら全員を消したのですか?」と尋ねた。彼女は悟りを得たように「時間が経つにつれ、我達は皆成長し、離れ離れになります。親も自分達の生活があり、たぶん私より先に亡くなれるでしょう。夫にも自分の交際や仕事があり、常に私と一緒にいるようには頼めないでしょう。そして唯一現在までずっと私に懐いている息子さえも、いつか大人になり、自分の家庭を持つことになり、私と一緒に居られるのは自分だけになります」と答えた。

息子がいつか大人になり、自分の家庭を持つことになり、私と一緒に居られるのは自分だけになります。(イメージ / Pixabay CC0 1.0)

 多分、我々は誰が自分とこの人生の道を歩み終えるのかを深く考えたことないでしょう。幼い頃からそばに居てくれる人もいるが、殆どの人達は共にする道程が短い。大人になり、配偶者や子供が自分のそばに訪れるが、彼らが必ず永遠にこの人生を通して常に我々と同行できると言いきれないでしょう。

 どれだけ幸せになっても、「無常」が訪れると、殆どの人は自分一人になってしまう。そして深く愛すれば愛するほど、愛する人と別れる時、更なる痛みを感じる。これこそ人生の真実だと思う。人生は旅のようなもので、途中で目にする風景は美しいが、すべてを持ち去ることはできないからだ。

「無常」とは、仏教における中核教義の一つである。生滅変化してうつりかわり、しばらくも同じ状態に留まらないこと。(ウィキペディア)

(翻訳・謝 如初)