元・銭選『王羲之観鵝図』一部 ( パブリック・ドメイン)

 巷には「長者三代続かず」という諺がある。これは裕福な家族に対しての試練で、同時に宿命だろうか?驚くべきことに、山東省琅邪の王氏一族は前漢から明清までの1700年間、ひと言の家訓に従い、いろいろな試練に耐え、多くの困難を乗り越えて、中国史上最も著名な一族となり、「中華第一望族」と称えられた。王氏一族の最も有名人は東晋の政治家・書家である王羲之(おう ぎし、303年―361年)。

琅邪の王氏一族(一部)(ウィキペディア)

 王氏の家訓は中国語で6文字「言宜慢、心宜善:ゆっくり話すべし、善良な心を持つべし」だけである。ところが、当初王氏の始祖の王吉(おう きつ)は「言宜慢:ゆっくり話すべし」だけを家訓とし、険悪な官界の様々な難関を順調に乗り越え、10年間を経て県知事から朝廷重臣、前漢名臣となった。

 その後、王吉は「言宜慢、心宜善」の6文字を王氏の家訓に定め、この6文字が王氏の子孫達に恵みをもたらし、信じ難い程の奇跡を起こした。

「言宜慢:ゆっくり話すべし」

 「ゆっくり話すべし」は紀元前77年、王吉が七品県知事から昌邑王府の五品中尉に昇進したとき、一人の老人から授かった極意だ。昌邑王の劉賀(りゅう が)は漢の武帝の孫だが、気まぐれで、いつも彼をへつらう人たちに囲まれている。この様な険悪な官界の中で、当然、王吉はとても憂うつだった。

 しかし、幸いにも王吉は自分を迷いから救う老人に出会い、彼はその老人に「ゆっくり話すべし」という教訓を授かった。この言葉により王吉は次々と困難を乗りこえて、官界でよい評判を得て、漢の宣帝劉詢(りゅう しゅん)から諫議大夫に登用され、朝廷の重臣にまで出世した。

 「ゆっくり話すべし」は話す前によく考えて話すことを私たちに指導している。そうすることで更に慎重になり、穏やかで冷静な寛大で成熟した人格になるトレーニングになる。また、落ち着いた口調で話せば、聞き手に尊敬され、親切に感じ耳触りが良い。

「心宜善:善良な心を持つべし」

 「善良な心を持つべし」は紀元前67年に王吉が再び昌邑を通った時に、再び老人から授かった言葉だ。王吉は官位が上がるにつれ、職権を利用し政敵に報復したいとの思いが現れ、政敵にひどい報復をした。例えば、長史の趙珞(ちょう らく)は、政見が合わない事を理由に王吉に悪意ある弾劾を受け、最後は免職され帰郷させられ、間もなく鬱々として亡くなった。

 老人の諫言に従い、王吉は以前に犯した過ちを徹底的に改めて、報復を止め全ての人を客観的かつ公正に扱うことで、益々多くの人から歓迎され、険悪な官界において順調で平和な一生を過ごした。王吉にこの6文字の秘訣を送った老人は、漢の武帝時代の有名な宰相公孫 弘(こうそん こう)と言われている。

 善良な心を持つべし、人に善をもって付き合えば、必ず幸福が訪れる。心が善良な人は、喜んで人の役に立ち、人を救う。周囲の人々も彼との交流を望み、喜んで助けてくれる。

 「言宜慢、心宜善」平凡に見える6文字だが、先人の人付き合いと世渡りの道理が含まれている。

東晋・王羲之『蘭亭序』(神龍半印本、部分)(パブリック・ドメイン)

*琅邪王氏:秦の将軍「王離」の長男の「王元」の末裔といわれる「王吉」を始祖とし山東省琅邪郡臨沂県を本貫とする。

(翻訳・宛 漣音)