投壺(Liftold, CC BY-SA 3.0 , via Wikimedia Commons)

 一、日本の伝統遊戯―投扇興

 日本の伝統遊戯に扇を投げて的を倒すという優雅な遊び、「投扇興」があります。

 その遊び方は、桐箱の台の上に、「蝶」と呼ばれる的を立て、1メートルほどを離れた所に座り、開いた扇を投げて的を落とし、扇と的の落ちた形で採点し、優劣を競うというものです。 

 投扇興の起源は江戸時代の中期、永安二年 (1773) の頃の京都だとされていますが、その遊びの発想は、中国から伝来した投壺(とうこ)という遊戯だと言われています。

投扇興の道具(花宴, CC BY-SA 4.0 , via Wikimedia Commons)

 二、古代中国の宴席の遊戯―投壺

 投壺は中国古代の宴席で行われる遊戯です。『礼記(らいき)』(※1)「投壺篇」には,その遊び方が記されています。それによると,投げ手は矢2本半離れた場所から矢を壺に投げ、競技は主客が交互に矢を投げ入れ,入った矢の数の多少で勝負を決め、負けた者は罰として酒を飲みます。そして、矢が跳び出さないように、壷の中に小豆を入れるようにし、矢の長さは室内,堂上,庭などの場所によって異なるそうです。

 投壷は動きが穏やかで、礼節をわきまえ、知識人の精神教養に通じるものがあるため、盛んに行なわれていたことは、多くの歴史書に記述されています。

『明宣宗行楽図』より投壺の図(パブリック・ドメイン)

 中国の長い歴史の中で、投壷は主に王族や高級官僚、文人等の優雅な遊びとして伝えられてきました。しかし、清の末期になると、投壺はあまり登場しなくなり、特に共産党政権になってから、中国の伝統文化が徹底的に破壊され、古い遊戯が排除され、投壺も中国で完全に廃れてしまいました。

 三、日本の正倉院が所蔵する投壺

 投壷は日本には奈良時代に伝えられたとされています。正倉院には、唐の時代の中国製投壺用の銅製の壺と木製の矢が所蔵されています。

 正倉院が所蔵する投壺について、正倉院事務所長の杉本一樹氏は、著書の『正倉院歴史と宝物』の中で、以下のエピソードを紹介しています。

 1142年5月5日、鳥羽法皇は東大寺で授戒をし、翌6日の早朝、正倉院の扉を開けて 宝物を見せよという話になりました。数ある宝物の中から、聖武天皇ゆかりのものが鳥羽法皇の前に運ばれました。中には、上が長く下は扁平の形をしている銅壺があり、「この器は何か」と法皇が聞くと、係の者は「これは投壺の器です」と答え、「中に小豆が入っていたりするかもしれません」と付け加えました。そこで係の者に壺を倒させたところ、中から実際に 小豆が2、3粒転がり出し、周囲の者は皆感嘆したそうです。

 投壺は、江戸時代中期を除けば、日本ではあまり盛んに行われませんでした。但し、先ほど紹介したように、伝統遊戯である「投扇興」は「投壺」を元にして考案されたのではないかと言われています。

 ちなみに、朝鮮半島にも投壺の記録が残っており、中国から伝播したものと考えられています。韓国では「投壺」が現在もゲームとして残っており、主に旧正月等の特別な日に、祝祭などの行事として行われているそうです。

申潤福『蕙園伝神帖』より林下投壺(パブリック・ドメイン)
現在韓国で行われている投壺(Kang Byeong Kee, CC BY 3.0 , via Wikimedia Commons)

(※1)儒教の最も基本的な経典である「経書」の一つで、『周礼』『礼儀』と合わせて「三礼」と称される。

(文・一心)