清院本『清明上河図』一部 ( パブリック・ドメイン)

 北宋(ほくそう、960年―1127年)の首都汴京の繁栄が描かれている『清明上河図』は、北宋の画家・張択端によって描かれた名画として広く知られている。後世に多くの画家が模写を行ったが、中でも陳枚、孫祜、金昆など清朝の芸術家たちの合作がよく知られている。『清明上河図』には宋代における多くの漢方薬の真の描写が描かれている。

北宋・張択端『清明上河図』一部( パブリック・ドメイン)

 絵の中の四つの井戸の隣には露店があり、ドアに 「趙太丞家」の額が掛けられていている。絵の中の医者は、女性の腕の中で子供を治療することに集中している。店のドアの対聯(ついれん)や看板には、「五労七傷」「治酒所傷真方集香丸」「理小兒貧不計利」という文字が描かれている。この文字か得られる情報は何だろうか?

 「丞」は、宋代の太府寺の薬局の官名であり、医薬を管理している。「五労七傷」は、一般的な内傷や外感病の総称である。書面によると、この趙太丞は小児科と内科を専門とする医療責任者であると考えられる。文字から見て、彼は医学を実践することに熱心であり、医学倫理に注意を払い、そして「医術は慈悲によるもので、自分が貧しくても利を求めない」という境地に達している。

清院本『清明上河図』一部 ( パブリック・ドメイン)

 

 絵の中の小さな中庭の扉のそばに、「祝由科」という文字が書かれている。「祝由」は古代の祈りの治療法の名前である。それは最初に『皇帝內経』に見られ、後に呪いの類として認識されていた。それは強い道教色を帯びており、いくつかの薬を扱う。絵から祝由科が当時政府によって正式に承認さていたことがわかる。元王朝の病院は13の科目に分類されており、その中に「祝由科」がある。元王朝の後、次第に民間で人気が高まった。

 もう一方の露店では、ドアの横に「専門接骨」の看板があり、その上には「十」という印象的な看板があるが、その意味は解明されていない。

(つづく)

(翻訳・柳生和樹)