攻城戦(パブリック・ドメイン)

 「攻城戦だ!」

 世界各国の史書や歴史ドラマでも、このようなシーンをよく見かけるでしょう。数十万人の大軍が一つの城を包囲して攻撃します。攻防双方は、様々な兵器や道具を使い、一進一退の戦いを次々と繰り広げます。そして戦のあとは、攻防双方共々、大きなダメージを受けてしまいます。

 時間がかかり、労力も必要で、ダメージも大きいのに、なぜ昔の人は城を攻略しなければならなかったのでしょうか?ちょっと回り道をして、目的地に直接向かうほうが楽では?と思う人もいるでしょう。今回は、その攻城戦の必要性を紹介します。

  城を攻略する利点

 古代社会において、城はその地区の経済的中心でありながら、戦略的要地でもあります。そのような城を攻略できれば、政治的に大きな影響を与えるこができ、敵軍を脅し、心理的に大きな打撃を与えることができます。

 現代においては、現代化兵器を用いて都市部を攻撃します。その戦略的な目的とは、敵国の経済の要を破壊し、敵国の民衆をパニックに陥らせ、秩序を乱します。古代においては、都市部や城を攻略できたとしても、農耕経済を主とした中国では、経済的な影響が現代のように多くはありません。しかし代わりに、政治的な面に多大な影響を与えることができます。

 例えば、三国時代のターニングポイントとなった樊城(はんじょう)の戦い。関羽は樊城を攻略する前に、数回だけの快進撃をもって、中原を震撼させることができました。曹操を動揺させ、遷都まで考えるようにさせるまでの影響力でした。攻城戦の政治的な影響力の大きさが窺えます。

 また、どんな時代においても、戦争は経済力が勝負となります。冷兵器の時代、銃後で物資の配給や整備を担う兵站(へいたん)は、戦においては何より重要でした。一方、都市部は経済が繁栄し、貿易も発達しておりますので、そこに財宝、食料、物資、さらには兵器などが蓄えられています。一部の都市には、多くの土地や財産、さらには私兵を持ち一定の地域的支配権を持つ豪族が住んでいます。そのような都市を攻略できれば、豪族の持っている財産を直ちに手に入れることもできるようになります。さらに、都市を攻略できれば、都市部に存在する稀有な宝物などを、配下の将校や兵士たちに施すことによって、軍の士気を高めることができます。

 回り道をする弊害

 もっとも、攻城戦の目的は、その城の軍隊の兵士と財産を消滅し、敵軍の軍事力を弱めることです。強大な軍勢で守りを固めた要塞や都市へ進攻をされると、敵軍は援軍を送る場合が多くあります。これに乗じて、要塞を包囲しながら援軍を攻撃することができ、敵軍の戦略配置を乱す事ができ、さらには思いもよらない戦機を作ることもできます。そこで回り道をすると、好機を逃すばかりではなく、自陣営の後方と逃げ道を敵に捧げると同然で、相当危なくなります。

 例えば、三国時代の有名な夷陵(いりょう)の戦い。戦略的撤退を選んだ陸遜は、軍隊の力を保つことができ、のちに奇襲をかけることができました。一方、呉の土地を攻略できた劉備は、呉の軍事力を弱めることができなかったため、快進撃にもかかわらず、後方に築き連ねた陣営の大半が火計により陥落されました。

 具体的に説明すると、回り道をすることには弊害が二つあります。一つ目は、自陣営の補給ラインが遮断されやすくなり、兵站を失い、前線で戦う大軍の戦闘力が崩れます。二つ目は、軍隊の前方に敵軍と遭遇し戦闘になる場合、通過した敵軍の城からの攻勢が後方から増援されると、挟み撃ちにされるという極めて危険で不利な状況になってしまいます。

 そのため、どんなに時間をかけても、どんなにダメージを受けても、古代の軍隊は敵の城を攻略するしかありませんでした。

(翻訳・常夏)