『列女仁智図』の一部(晋・顧愷之)(パブリック・ドメイン)

 中国の春秋時代(しゅんじゅうじだい)、貞姫は楚の大夫(領地を持った貴族)である白公勝(はくこうしょう)の妻であった。しかし、白公勝は早くに他界したにもかかわらず、貞姫は再婚を全く考えることなく、家で麻糸を紡ぎ、布を織り、心安らかに日々を過ごしていた。そんなある日、呉王は、貞姫が賢く徳があると聞きつけ、結納品として多くの黄金と白璧(しらたま)を高官に持たせ、豪華な馬車三十台を従え、彼女を迎えに行かせた。

 しかし貞姫は、呉王の好意を辞退してこう言った。「白公勝は早逝してしまい、私は彼のため生涯どこにも嫁ぐつもりはありません。欲のために義を放棄する人は汚穢(けがれ)です。利を見て恩義のある人を忘れ去る人は貪欲です。もし私が呉王の要求を受け入れたら、私は即ち汚穢(けがれ)で貪婪な人ということです。私がこのような人であると知った上で、呉王様はそれでも私を必要としますか?」

 呉王はこれを聞き、貞姫こそ本当に忠義貞節で賢明な人だと思った。結局貞姫は呉王の求婚を断り、夫人になることはなかった。彼女の死後、呉王は「貞姫」(貞節な姫)の称号を贈った。誠に古人の言う「富貴も淫らならず(どのような富貴をもってしても心を惑わすことはできない)」であった。西漢(前漢)の著名な学者、劉向でさえ彼女を「廉潔誠信(清廉潔白で誠に信あり)」と賞賛している。

呉王の好意を辞退する貞姫(イメージ:『新刊古列女伝』の挿絵 パブリック・ドメイン)

出典:『列女伝・貞順・楚白貞姫』(漢・劉向)

(翻訳・閻粛)