若者は自分の手を見つめ、人差し指が樹の上の鳥を指して、親指は天を指して、中指・薬指・小指は自分を指していました。(イメージ:看中国/Vision Times Japan)

 一人の若者がお寺に行って、住職に会いました。そして、「住職、この世は人間関係がとても複雑で、お互い騙し合ったり、偽善的に応酬していて本当に退屈で仕方がありません。私はどうしたらよいでしょうか」と尋ねました。住職は何も答えませんでした。

 その時、樹の上の鳥が鳴きながら、糞を落としました。もう少しで若者の体に落ちるところだったので、若者は鳥を指しながら大声で「死ね、この鳥め!気をつけろ!」と怒鳴りました。

 すると、「善哉、善哉。若者よ、あなたが指差した手をご覧なだい、道理はその中にありますよ」と住職は言いました。

 若者は自分の手を見つめ、人差し指が樹の上の鳥を指して、親指は天を指して、中指・薬指・小指は自分を指していました。

 理解していない若者に対し、住職は「あなたが鳥を叱った時の手の形は、鳥に向けた指は1本ですが、自分を向いている指は3本あるのがお分かりでしょう。つまり、もし他人を責めれば、まず自分の行動に3倍も責任を持つべきです。己を厳しく律し、人には寛容な心で接すれば、世間はあなたが思うほど悪くないと感じるでしょう。天を指した親指は、この世には誰にも予測できない、説明のつかないことがあります。天に判断を委ねるしかないことがあります」と説明しました。

 住職は続けて、樹の上で鳴いている鳥を見上げながら、「鳥には罪がありません。もともと鳥たちは樹に住んでおり、樹から糞が落ちてくるのは当たり前のことで、ただ我々が立った場所が悪かったのです。この世のすべてのことには正しいことと間違ったこと、絶対的な是非などはありません。そのため、あらゆる物事に優劣をつけたり、勝ち負けを決めたりする必要はありません。一歩譲って人と接すれば世界は限りなく広がるでしょう」と言いました。

(翻訳・閻粛)