イメージ:studio2013 / PIXTA(ピクスタ)

 よく散歩で行く公園には、丸い石で舗装された小道があります。その上を裸足で歩いている人たちを見て、私も歩いてみたいと思いました。裸足で玉石の上を歩くと、足の裏をマッサージでき体にいいと以前から聞きましたが、それがどれほど痛いかは誰も教えてくれませんでした。

 裸足で石の上を歩く人達は、みんな平然にとして、ゆったりと歩いているように見えます。石の上を歩くのはきっと、マッサージと同じく気持ちいいものだと勘違いした私は、何の心の準備もなく、靴を脱いで、小道を踏みました。しかしそれは、叫びたいほど痛かったのです。角もなく丸い石を踏んでいるのに、なぜナイフで切られたかのように痛いのでしょう?

 数秒間じっと立っても、痛みが消えないから、私は前に歩いていくことにしました。しかしその一歩一歩はとても痛くて、前に進むことも困難でした。

 同じく裸足で歩いているおじいさんは、私のこの様子を見て、「初めてかな」と微笑んで声をかけてくれました。頷く私に、「慣れれば大丈夫だよ」と言ってくれました。

 「早起き早寝や苦手な食べ物は慣れることができますが、『痛み』も慣れるものですか」と私が尋ねました。おじいさんは、「今のあなたは、痛みを受け止めたくないと考えている。しかし、痛みを受け止めることができれば、状況が変わるかもしれないよ」と微笑んで答えてくれました。

 裸足で玉石の上を歩く痛みは、避けることができませんから。私は深呼吸をして、おじいさんの言うとおりに、痛みを受け止めてみようと思いました。そうすると、しばらくして私もつまづくこともなく、普通の道を歩くように玉石の小道を歩くことができました。

 私を見て、「裸足で玉石の上を歩くのに慣れている人だ」と思われれるかもしれませんが、実は痛みは消えていません。しかし、その痛みを受け止めようと決心してから、それほど痛く感じなくなりました。

 人生もそうでしょう。避けられない「痛み」はたくさんありますが、その痛みを平然と受け止めることができたら、私たちの心は「痛み」によって鍛え上げられ、痛みを制御できるほど強くなるでしょう。

(翻訳・常夏)