2026年6月15日の朝、中国・広州市番禺区では、複数の路線バスが車庫から出ず、停留所にはバスを待つ人たちだけが取り残されました。運転手たちは営業所に集まり、まず今月分の給料を支払ってほしい。支払いが確認できれば運行を再開すると訴えました。現地メディアによると、運休したのは民間のバス会社が担当する路線で、給与の未払いはすでに半年ほど続いていたとされています。さらに南方都市報は、広州市の路線バス利用者が2025年には2019年と比べて約6割減り、この3年間で市内の路線が100路線以上減ったと伝えています。
一つの会社が給料を払えなくなるのは、まずその会社の経営問題です。けれども、同じような事態が業種を超えて広がり、民間か公共の職場かを問わず各地で増えていくなら、それは個別企業の失敗ではなく、社会全体の問題として見る必要があります。
2か月後、この問題は初めて公の文書に姿を現します。8月17日、中国で日本の厚生労働省にあたる人的資源社会保障省は、次の5か年計画の期間中、公立学校の教員や医療従事者を重点対象として、賃金未払い対策を強化する方針を示しました。注目すべきなのはその位置づけです。賃金の未払いという文言が、国の行政機関がまとめる5年間の賃金政策の基本方針そのものに盛り込まれたのは、これが初めてでした。中国全土の教員は約1870万人、医療従事者は1600万人を超え、両者を合わせるとおよそ3400万人に上ります。
税金で賄われるはずの公立学校の教員でも、給与の未払いは起きています。理由は、給与が一枚岩ではないからです。教員の給与は二つに分かれており、基本給は中央政府と省の財政で支えられるため比較的安定しています。これに対して、成績や実績に応じて上乗せされる手当は、末端の地方政府が自前で捻出しなければなりません。未払いが起きているのは、この上乗せ分です。では、なぜ地方が払えなくなっているのか。その背景は、財政省の数字に表れています。地方財政を支えてきた国有地の使用権売却収入は、2025年に4兆1518億元日本円でおよそ96兆5000万円と前年より14.7パーセント減りました。さらに2026年上半期は9778億元、日本円でおよそ22兆7000億円となり、前年同期比で31.5パーセント減っています。一方で、同じ時期の土地関連支出は2割も減っていません。収入の落ち込みに支出の削減が追いつかず、ついに、入る金額より出ていく金額のほうが大きくなりました。しかも、土地収入が最も多かった2021年の8兆7000億元、日本円でおよそ202兆円と比べると、5年足らずで3分の2以上が消えた計算になります。
収入が落ち込んでも、地方政府の債務負担がそれに合わせて軽くなるわけではありません。2024年11月には、地方政府が抱える表に出にくい債務を整理するため、総額12兆元日本円でおよそ279兆円規模の枠組みが打ち出されました。あわせて、2028年までに処理が必要な債務の総額は14兆3000億元、日本円でおよそ333兆円と示されています。 使えるお金が限られるなかでは、支出にも優先順位があります。まず暮らしを支える基礎的な支出と給与、それに役所の運営費が先に確保されます。未払いも、ある日突然すべて止まるわけではありません。最初に削られるのは成果給で、その後に各種手当の支給が遅れ、最後には振込日そのものが少しずつ後ろへずれていきます。
病院の事情は、学校以上に明確です。中国の公立病院は、運営費の一部しか公費で補われず、その割合は長く1割台にとどまってきました。残る大半は、自らの診療収入で賄わなければなりません。実際、一定規模以上の公立病院では、負債比率が警戒線とされる50パーセントを超えるところが3割以上に上り、収支が均衡している病院も65パーセントにとどまります。こうしたなか、2026年6月には、賃金未払いを指摘されたある病院が、基本給は3月分まで、賞与は2月分まで支払いを終えており、遅れは資金繰りの悪化によるものだと説明しました。ただ、積み残し分をいつ、どう処理するのかについては触れていません。
民間企業の側では、そのしわ寄せが労働紛争の増加に表れています。全国で処理された労働紛争は、2021年の約263万件から2025年には約454万件へ増え、4年で72.6パーセント増えました。1件当たりの平均解決額は2万2500元、日本円でおよそ52万円です。4年で7割増というこれほど急な増え方を、働く人の権利意識の高まった結果とは考えにくいものです。
未払い賃金は、発生した後に取り戻すのも簡単ではありません。最高人民法院が2026年4月に公表した事例では、深圳市のあるメディア企業が、職員463人分の賃金に加え、借入金など計896万元、日本円でおよそ2億820万円余りを滞納したまま、差し押さえ可能な財産をほとんど残さず破産清算の手続きに入りました。北京市が2026年6月に公表した別の事例では、ある建設会社が労働者68人分の賃金122万1724元、日本円でおよそ2838万円を立て替えて支払うよう命じられながら従わず、命令違反に対して科された制裁金は2万元、日本円でおよそ46万5000円にとどまりました。122万元(日本円でおよそ2838万円)の未払いに対し、制裁金は2万元(日本円でおよそ2838万円です。)この落差をみると、企業にとって賃金の未払いはリスクというより、安上がりな資金繰りの手段になります。
給料が10日遅れることの重みは、決して小さくありません。住宅ローンの引き落としは待ってくれませんし、学費も会社の資金繰りを理由に先延ばしにはできません。本当に響いてくるのは、遅れが2か月目、3か月目に入ってからです。毎日これまで通りに働いているのに、来月の生活費をどう工面するのか見通しが立ちません。しかも、次の勤め先がすぐ見つかる保証はなく、簡単に職場を辞めることもできません。収入への不安が広がると、人はまず日々の買い物を切り詰めます。すると店の売り上げが落ち、その影響はやがて、そこで働く人たちの賃金へとはね返っていきます。
今回の方針そのものは、方向としては理にかなっています。個別の摘発で対処するのではなく、制度として支える仕組みに踏み込んだからです。ただし、制度で決められるのは、限られた財源を誰にどう優先配分するかという順番までです。支払いの財源そのものを、文書だけで生み出すことはできません。現実には、土地関連の収入はピーク時の8兆7000億元、日本円でおよそ202兆円から、いまや3兆元、日本円でおよそ69兆7000億円にも届かない水準へ落ち込みつつあります。その穴は、どれほど整った計画文書でも埋められません。
街にどれだけ店が残っているかを見ても、工場が動いているかを確かめても、経済の状態はある程度つかめます。それでも、いちばん率直に実情を映すのは、毎月更新される給与明細と、その振込日なのかもしれません。
(翻訳・吉原木子)
