8月10日、台風13号による風雨がピークを迎え、浙江省臨海市では、赤色とオレンジ色の警報が相次いで5つ発令されました。豪雨の赤色警報、台風の赤色警報、都市部の大雨による浸水のオレンジ警報、土砂災害の気象リスクに関する赤色警報、山間部の洪水災害に関する気象リスクの赤色警報です。現地の1日の降水量は255.4ミリに達し、過去最高を更新しました。城外を流れる霊江(れいこう)には、上流の豊渓(ほうけい)と永安渓(えいあんけい)から洪水が流れ込み、水位が急上昇し、一時は市街地の地面よりも高くなりました。

 ネット上に流れた動画を見ると、城外では川の水が堤防を越え、道路や住宅をのみ込み、屋根だけが水面から見えるほど一面が水に覆われています。ところがカメラを城内に向けると、残っているのは雨によるわずかな水たまりだけで、場所によっては地面が完全に乾いています。城壁の内と外は、まるで二つの別世界です。

 実は、川の水位が上がる前に、現地では人員を動員して数万袋の土のうを準備し、すべての城門を完全にふさいでいました。川の水を城外で食い止める一方、城内では雨によってたまった水を速やかに排出する作業も進めました。外から入る水は防ぎ、中にたまる水は排出する。この両方の対策を同時に行っていたのです。

 地元のネットユーザーは、こう振り返っています。「もともと土地が低いから、どうしようもない。でも今年は早めに土のうで城門をふさいだから助かった。そうでなければ、城内は本当にまた大変なことになっていた」。さらに、2019年に台風9号が襲来した際には、霊江の水位が急上昇し、洪水が城門から直接市街地へ逆流したといいます。紫陽街(しようがい)周辺の旧市街は広い範囲で浸水し、商店や住宅に深刻な被害が出ました。多くの地元住民は今も、あの災害を覚えています。別のネットユーザーからは、「昔の人は工事で少しの手抜きも許さなかった。天を敬い、大地を敬い、良心を敬っていた」とのコメントも寄せられました。

 公開資料によると、台州城壁は「江南長城」「江南八達嶺」とも呼ばれ、東晋の安帝・元興元年(西暦 402 年)に建設が始まり、唐の高祖・武徳4年(西暦 621 年)に拡張されました。すでに1600年以上の歴史があります。台州城壁は軍事防衛と洪水対策という二つの機能を兼ね備え、全長は6000メートル余り、現在も5000メートル余りが残っています。歴代の城壁建設に携わった人々は、この土地が低く、川が増水しやすいという問題を早くから設計に織り込んでいました。だからこそ、この古城は1000年以上にわたる風雨を乗り越えてきたのです。

 では、ここで一つ疑問が浮かびます。臨海市だけが特別なのでしょうか。同じように600年以上の歴史を持つ北京の故宮は、なぜほとんど浸水せずに済んできたのでしょうか。

 北京の故宮は、完成から600年以上にわたって数え切れないほどの豪雨に見舞われてきましたが、ほとんど浸水したことがありません。特に激しい雨が降ると、故宮では無数の龍の排水口から一斉に水が流れ出す、「千の龍が水を吐く」ような壮観な光景が現れます。

 唯一の例外は2023年でした。台風によって北京で深刻な洪水が発生した際、故宮でも一時的に水がたまり、多くの人から「古代の排水設計も、ついに限界を迎えたのではないか」と疑問の声が上がりました。ところが、その後、職員が地下の排水溝を清掃したところ、排水路をふさいでいたのは大量のペットボトルやビニール袋、タオル、さらには衣類でした。いずれも古代には存在せず、当時の人々には想定しようもなかった現代のごみです。それらを取り除くと、水はすぐにスムーズに流れるようになりました。つまり、故宮の排水システムそのものに問題があったわけではありません。600年前の人々には、後世の人々が地下の排水溝をビニール袋で詰まらせることなど、想像することもできなかったのです。

 同じような例はほかにもあります。江西省贛州市(こうせいしょう・かんしゅうし)の古城は、「1000年水害知らずの街」として知られています。贛州城は東晋時代に建設が始まり、三方を章江(しょうこう)と貢江(こうこう)に囲まれています。城内には全長12キロを超える「福寿溝(ふくじゅこう)」があり、レンガや石で造られた地下水路が、市内にある大小100か所以上の池をつないでいます。そこに水をためることで、都市の浸水を防ぐ仕組みです。水路の曲がり角には、土砂を沈殿させる設備や泥を取り除く仕組みまで設けられており、後世の人々は定期的にたまった土砂やごみを取り除くだけでよく、水路全体を掘り返して掃除する必要がない仕組みになっています。

 北宋の熙寧年間には、知州の劉彝(りゅう・い)が城壁の下に12か所の一方向式の水門を設けました。川の水位が城内より低いときは水門を開いて排水し、川が増水して城内より水位が高くなると水門を閉じ、川の水が逆流するのを防ぎます。外側では強固な城壁で水を防ぎ、内側では福寿溝によって水を流し、ためる。この内外両方に対応したシステムは、すでに1000年近く稼働し、現在もその役割を果たしています。パリの下水道より800~900年も早く建設されたとされ、中国古代の「スポンジ都市」の代表例とも呼ばれています。

 さらに、江南や徽州(きしゅう)一帯の伝統的な住宅にも、浸水を防ぐための独自の工夫があります。徽州様式の建築では一般的に、「四水帰堂(しすいきどう)」と呼ばれる中庭の構造が採用されています。四方の屋根が中庭側へ傾斜しており、雨が降ると四方から雨水が中庭へ集まり、軒下の溝や地上の排水溝、地下水路を通って段階的に排出され、最終的には屋敷の外にある水路へ流れ込みます。これによって敷地内の浸水や水たまりを防ぐと同時に、「財を外へ逃がさない」という蓄財の意味も込められています。

 この設計は、単に排水の問題を解決するだけではありません。中庭そのものが、夏には空気の流れを生み出して風通しを良くし、気温を下げる役割を果たします。冬には日光を取り込みながら、冷たい風を防ぐこともできます。まさに雨の多い中国南部の気候に合わせ、建物そのものによって排水と温度や風通しの調節を実現した、代表的な知恵だといえます。

 数百年、あるいは1000年以上の時を超え、現在も機能し続けるこうした古代の施設には、現代の技術は使われていません。それでも、繰り返し襲う激しい豪雨から、一つの街を守り続けてきました。では、現代の都市は、先人たちが残したこうした知恵からどこまで学ぶことができるのでしょうか。

(翻訳・藍彧)