(イメージ:蒋介石の写真の所有権は中華民國總統府に帰属します)

 第二次世界大戦の戦後処理において、アメリカの大統領は大きな過ちを犯しました。それは、ヨーロッパとアジアに勢力を拡大しようとしていた国際共産主義を援助したことであります。一方、中華民国総統であった蒋介石(しょう かいせき、1887年―1975年)は先見の明があり、日本を共産主義化から守りました。

 蒋介石は1952年の「わが党の第七回全国代表大会における政治報告」にて次のように述べています。
「第二次世界大戦の結末はどのようなものだったでしょうか。大戦によって、中国は犠牲になり、ドイツは分断されたが、日本は守られました。しかし日本の保全は偶然のものではありません。第二次大戦以前では通常、軍事戦略家や政治家はいかなる戦争の結末においても、敗戦国は勝利国の平和会議での条件を飲まなくてはいけないと考えていました。」

 「ルーズベルト大統領は記者会見で『無条件降伏』という言葉を使ったとき、私(訳者:蒋介石)は言うまでもなく、世界各国の人々は驚愕させられました。当時、チャーチル首相はこの言葉を使うのを躊躇していましたが、ルーズベルト大統領は始終この要求を堅持したのです。そのため、ヨーロッパ戦線では、ドイツは徹底的に追い詰められ、最後まで戦わざるを得ませんでした。スターリンの立場からすれば、ドイツに対する破壊が徹底的であればあるほど、ソ連はヨーロッパにおいて優勢となるのです。一方、西欧列強は第一次世界大戦後、ソ連を防ぐために東欧に緩衝国を樹立し、ソ連と対抗するためにドイツと手を結びました。しかし今や不可能です。結局、この要求はソ連に有利なだけでした。」

 「当時、私はすでに大戦後のソ連の侵入の危機を予測しており、戦後の日本の赤化を食い止めることに心を砕いていました。そのためカイロ会談の最中、私は日本国民に自国の国家体制を選択する権利があると力説しました。(中略)これは日本の降伏を早めただけではなく、戦後の日本国の統一をも守る結果となしました。今日(訳者:1952年)に至るまで、東西ドイツの分裂により、中央ヨーロッパは欧州の火薬庫となっています。対照的に、完全な民主国家の日本は太平洋におけるソビエトロシアの進出を防ぐ中心基地となっています。私にとって、これは危機的状況の中でも安堵できる一つの事柄です。」

 多くの歴史学者は、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトとイギリス首相ウェストン・チャーチルは当時ソ連の勢力拡大に手をこまねき、有効な対策を取らなかったことに責任があると考えています。

 チャーチルはソ連共産党の目的を明白に認識できませんでした。「同盟国の勝利によって明るく照らされた大地が、すでに暗い影に覆われてしまった。ソ連とソ連共産主義インターナショナルが近い将来に何を企んでいるか、どこまで拡張と布教をするつもりなのか、これは誰にも分からない。(チャーチル、鉄のカーテン演説)」

 ソ連共産主義勢力は世界情勢をコントロールし、軍事と外交手段を用いて共産主義を全世界に拡張させてきました。スターリンは「今回の戦争は以前の戦争とは違う。領土を解放すれば、我々の軍隊が占領したところまで我々の社会制度を行き渡らせることになるのだ。」と述べています。

 共産主義の社会制度とそのイデオロギーの拡張は常に人命の損失をもたらしました。『共産主義黒書』の統計によると、共産主義革命の犠牲者は20世紀において、総計一億人近くに上るその内訳は、ソ連二千万人、中国六千五百万人、ベトナム百万人、北朝鮮二百万人、カンボジア二百万人、東ヨーロッパ百万人、ラテンアメリカ十五万人、アフリカ百七十万人、アフガニスタン百五十万人、そして権力掌握前の共産主義運動で約一万人となっている。

(つづく)

(文・「千古英雄人物」研究チーム/翻訳・夜香木)