「杖莫如信」~杖から見る外交の知恵~.
鄭・子産(パブリック・ドメイン)

 2019年、台湾はソロモン諸島とキリバスという二カ国との外交関係を断絶したと発表しました。ところがその後まもなく、台湾はアメリカの支援を得ることになりました。アメリカは台湾との外交関係を強固にしただけでなく、「2019年台湾同盟国際保護強化イニシアチブ法案(TAIPEI Act)」を可決し、世界各地の台湾の同盟国を支持する姿勢を示しました。

 外交情勢は予測しがたいものですが、冷静に考えれば、両国が外交関係を樹立するのにどのような知恵が必要なのでしょうか。今回紹介するのは、両国の外交関係において最も重要な「誠信」に関する四字熟語「杖莫如信」です。
 「杖莫如信」の「杖」は「依り所」を意味します。つまり、「最も頼りになるのは信を守ること」です。この語源は『左伝・襄公八年』(註)にあり、春秋時代中期の一つの物語からですーー。

 紀元前565年。晋国は若き君主・悼公の統治のもとで、六卿が権力を独占していた状況を改め、内政を整然と進めました。わずか八年の間に諸侯を九回も会合させ、晋国の覇業を再び頂点に押し上げ、南方の楚の共王と対峙する「晋楚二強対立」の局面となりました。
 同年、鄭国は兵を出して蔡国を攻撃し、蔡国の公子・司馬燮を捕虜にしました。当時の鄭国の人々はみな喜びましたが、若き子産だけは同調しませんでした。子産は「小国が文徳を持たずに武功を立てるほど大きな災禍はありません。万が一、楚国が蔡国のために討伐に来たら、我々は従わざるを得ないでしょう。楚に従えば晋の軍が必ず攻めてきます。晋楚二強に挟み撃ちされれば、鄭国は少なくとも四、五年も安寧を得られないでしょう」と言いました。
 この時、子産の父である公子子国)が怒りながら「お前は何を知っている?国の出兵という重大命令は執政の正卿様が行うものだ。子供がこんなことを言えば、首を切られるぞ」と言いました。
 果たして冬になると、楚国の軍が鄭国を攻めてきました。鄭国の大夫たちは親晋派と親楚派に分かれ、ある者はまず楚と和睦し鄭の国民を守り、後で晋に事情を説明して許しを請うべきだと考えました。
 当時、鄭国の執政の一人である大夫・子展は「小国が大国に仕える原則は誠信です。小国が信を守らなければ、すぐに戦禍の憂いが生じ、亡国の日も遠くないでしょう。私たちは晋国と五回の会盟を結んでいます。しかし今、晋を裏切れば、将来晋が攻めてきた時、楚が出兵したとしても、どうして防げるでしょうか。楚との友好関係は無意味です。楚の目的は鄭国を侵略することだけですよ」と言いながら、「私はかつて、頼りになるものは『信』に勝るものはない、と聞きました。ここは、厳重に守りを固めて楚軍の疲弊を待ち、晋軍の到着を待つのはどうでしょうか」と進言しました。
 しかし子展の意見は、最終的に鄭国の政権を握っていた公子に採択されませんでした。果たして鄭国は数年の間、外交政策で晋と楚の間で揺れ動きながら、長年の戦禍に遭いましたーー。

 時が流れても、現代世界において、誠実さは変わらず、両国外交関係の最も重要な基礎です。相互信頼の基盤があってこそ、お互いに恵みや利益を与え合い、ともに反映していくことが可能になります。この点は、2500年以上前、古代中国の人々がすでに深く体得していたのですね。

注:舍之聞之,杖莫如信,完守以老楚,杖信以待晉,不亦可乎。(舎之聞くに、杖は信に如かず、完守して以て楚を老いしめ、信を杖として以て晋を待つのみならず、亦可ならんや)

(翻訳・慎吾)