(イメージ / Pixabay CC0 1.0)

 1817年、イギリス商人のベンジャミン氏はDebbi郡で小さなサッカーボール製造工場を作った。これは世界初のサッカーボール専門工場である。

 当時、サッカーボールは町中の裁縫師が作っていたため、品質がイマイチ、外形も一致していなかった。一方、ベンジャミンが生産したサッカーボールは弾力性が良く、形も真円に近いものだった。にもかかわらず、販売数は伸びなかった。その原因は、本当の一部の熱狂なサッカーファン以外、ほとんどの人はベンジャミンの生産したサッカーボールと町中の裁縫師が作ったサッカーボールの違いを分からなかったのだ。この故に、知名度をどう広めるか、ベンジャミンは毎日必死に考えていた。

 ある日が突然、一通の訴状がベンジャミンに届いた。その内容はミランダという女性がベンジャミンを訴えるものだった。理由は彼女の主人がベンジャミンのサッカーボールを買ってから、サッカーをやっているばかりで、家にはほとんど帰らなかったのだ。このため、ベンジャミンの作ったサッカーボールが自分の幸せを奪ったと主張し、1000ポンドの慰謝料を請求するということだった。「我々のせいにするなんて、あの女はどうかしている。まさか野菜を切るとき、指を怪我したのも包丁が鋭すぎるせいにするのか」とベンジャミンの工場スタッフが口々に言って、彼女をかまわないようにと助言した。しかし、ベンジャミンは少し考えてから「いいえ、私は被告席に立って争うつもりだ」と言った。

 訴訟はすぐに始まった。人々はこの訴訟がミランダの不当な訴えによるものだと思いつつも、数回開廷したところ、ベンジャミンの弁護士が負け続け、結局はミランダが勝訴した。彼女は1000ポンドの弁償金をベンジャミンからもらった。この審判結果はあまりにも仰天だったため、すぐに話題になって広まり、タイムズ紙やオブザーバー新聞まで報道された。二ヶ月もたたないうちに「ベンジャミンの生産したサッカーボールはあまりにも質が良すぎたため起訴された」との話題がイギリス全国に広まった。

 実は、訴訟に負けるのはベンジャミン自身の意思であることは、当時誰も知らなかった。訴訟に負けることはすなわちミランダの主張が正しいこととなり、「ベンジャミンの生産したサッカーボールはすばらしい」ことを証明できるのだ。ベンジャミンのサッカーボールはあっと言う間に有名になり、売り上げも急激に伸びた。このサッカーボールのブラントは現在でも有名な「M I T R E」である。

 「トラブルに恐れるな。トラブルは成功に導いてくれるのだ。」とM I T R Eの創始者としてベンジャミンはよくこう言った。「当時私が被告席に立たなかったら、イギリス全国に私のサッカーボールを売ることができなかったでしょう。」

(翻訳・Jerry)