中国経済の低迷が続くなか、かつて中産家庭の「必須装備」と言われたピアノ教育産業が、いま前例のない大規模な整理局面に直面しています。家庭の資産が縮小するにつれ、「子どもは皆ピアノを習うべきだ」という社会的な風潮は過去のものとなりました。ピアノメーカーから一線の教師に至るまで産業チェーン全体が深刻な不況に見舞われ、さらに高所得層でさえ授業料のわずかな差にこだわるようになっています。

 上海出身の2000年代生まれのピアノ教師、張(ちょう)さんは、この変化を身をもって体験しています。幼少期からピアノを習い、高校卒業後すぐに講師として働き始め、すでに9年のキャリアがあります。かつての「ピアノブーム」の時代、彼女は週末だけでなく平日や長期休暇も含め、ほぼ毎日授業をして安定した収入を得ていました。しかし2024年以降、生徒数は急激に減少しました。所属するピアノ教室も、以前は2階建てのスペースを使っていたものの、授業数や生徒の減少により現在は1階部分だけを残し、残りは賃貸に出さざるを得なくなったといいます。

 同様の現象は全国各地で広がっています。ロイター通信の報道によると、北京で6年前に音楽教室を開いたピアノ教師の劉紅宇(リウ・ホンユー)氏は、最盛期には70人の生徒を抱え、2人の専任講師と2人の非常勤講師を雇っていました。しかしコロナ禍と経済の低迷で需要は急速に縮小し、現在は生徒数が半分以下に落ち込み、より小さく安い施設に移転、講師も非常勤2人だけに減ってしまったといいます。彼女は「今いる30人の生徒が、前払い済みの授業を受け終えたあとも続けてくれるのか心配だ」と語りました。

 保護者たちも、かつてのように長期コースの前払いを避けています。家計の先行きに不安を抱くだけでなく、多くの音楽教室がすでに倒産している現実を知っているからです。

 この背景には厳しい家庭の経済事情があります。業界関係者は、「北京、上海、広州、深圳で住宅価格が下落し、大手企業のリストラも拡大するなか、ピアノのような家計を圧迫するぜいたく品は、家庭にとって『必要な投資』から『削減可能な支出』へと変わった」と分析しています。

 10数年前、中国がピアノ熱の黄金時代にあった頃、「子どもは皆ピアノを習うべきだ」という考えは社会的な共通認識でした。『エコノミスト』誌の統計によると、最盛期の中国には4,000万人以上のピアノ学習者(琴童)が存在し、世界全体の8割を占めていました。その需要爆発に支えられ、中国は世界最大のピアノ生産国かつ消費国となったのです。2019年にはピアノの年間販売台数が40万台を突破し、同年のアメリカの約3万台と比べると圧倒的な規模でした。産業全体の市場規模は2,000億元近くに達し、まさに絶頂期でした。

 資本市場もこの波に乗りました。2012年、国有背景を持つ珠江(しゅこう)ピアノが上場を果たし、その年の生産販売台数は13万台を突破、世界市場シェア25%超を獲得しました。わずか20日後には、浙江省寧波市の海倫(かいりん)ピアノが深セン証券取引所に上場し、中国初の民営ピアノ企業として注目を集めました。浙江省湖州市や湖北省宜昌市では大規模な産業クラスターが形成され、湖州市洛舍鎮だけでピアノ関連企業は114社、従業員数は約4,000人、年間生産量は中国全体の7分の1を占めました。当時はまさにピアノ産業が最も輝いた時代であり、音楽教室も利益を上げ、ピアノ教師は憧れの職業のひとつとなっていました。

 しかし繁栄は長く続きませんでした。2024年、中国のピアノ市場は急激な下落に直面し、全国で7,000以上の楽器店が倒産、ピアノ販売台数はピークから半減しました。そして2025年に入ると、その寒気はさらに強まりました。

 2025年に入ると、ピアノ業界はさらに深刻な不況に見舞われました。第1四半期には、中国本土で唯一上場している2大ピアノ企業の業績がそろって大幅に悪化。海倫ピアノは968万4,800元の赤字を計上し、前年同期比で154.56%の減少。珠江ピアノに至っては5,168万4,700元の赤字となり、前年同期比162.52%の落ち込みを記録しました。さらに珠江ピアノは2025年上半期の純損失見通しを1億2,100万〜1億5,700万元と発表。2024年の売上高は前年比約40%減の6.77億元にまで縮小し、純利益は23億6,000万元の赤字、前年比4,000%以上の急落でした。

 業界歴の長い関係者はSNSで「ピアノは不動産よりも難しい業界だ。かつて“英才教育の王道”であり、楽器の王様と呼ばれたピアノも、いまでは製造する人も売る人も教える人も皆が行き場を失い、集団で失業状態だ」と語りました。

 張さんもこうした変化を実感しています。2019年当時は1レッスン200元でしたが、いったん値上げしたものの、コロナ以降は再び値下げが続き、現在は200元に戻っています。それでも保護者の中には「家庭の収入が追いつかない」として、2人の子どもを同時に学ばせるのは経済的に厳しく、やむなくピアノをやめさせる家庭も出てきました。張さんは「ピアノは長期的に学んでこそ成果が出るもので、数年習ってもすぐに効果は見えません。だからこそ多くの保護者が『もういい』と諦めてしまうのです」と語ります。

 保護者の態度も大きく変化しました。以前は子どもに対して厳しく練習を求め、レッスンの回数も多かったのが、最近では「仏系(物事に執着しない消極的な態度)」と呼ばれるように消極的になり、授業回数も減り、要求水準も下がっています。北京のある楽器店の経営者は「去年は崩壊の年、今年は淘汰の年だ」と苦い表情で語り、「定価5万元のピアノが、いまや5,000元に値下げしても買い手がつかない」と明かしました。

 2025年6月、広東省の音楽学院を卒業したばかりの鄭(てい)さんは、「私がピアノを学ぶために、両親はこれまで数十万元を投資してくれました。しかし卒業して得た仕事の基本給は月3,000元、授業料の歩合は35%、しかも生徒はなかなか集まらない。本当に皮肉です」とため息をつきました。

 さらに衝撃的なのは、高級住宅に住み、高級車を所有する裕福な家庭でさえ、わずか50元の授業料の差を理由に値引きを求めるようになったことです。張さんは「以前は保護者たちも太っ腹で、そんな細かいことを言う人はいませんでした。けれど今は、どんなに裕福な家庭でもお金を出し渋る。みんなが節約志向になっているのです」と語りました。

 張さん自身は「自由業」として働いていますが、同世代の同業者たちも皆、仕事を続けなければ収入がなくなってしまいます。2000年代生まれであっても、家族の支えがあったとしても、過度な競争(内巻)のプレッシャーから逃れることはできません。

 かつて夢や品位、中産階級の象徴だったピアノは、いまや冷え込む経済のなかで、多くの家庭が真っ先に切り捨てざるを得ない「ぜいたく品」へと変わりつつあるのです。

(翻訳・吉原木子)