中国当局はこのほど、総投資額1兆2000億元(約24兆円)にも達する「ヤルンツァンポ川下流水力発電プロジェクト」の着工を正式に発表しました。中国当局はこの計画を「発電量が三峡ダムを上回る、世界史上最大規模の単体スーパー工事」と称していますが、ネット上では「ヤルンツァンポ川水力発電に関する10の質問」と題した批判文が拡散し、大きな議論を呼んでいます。
ヤルンツァンポ川に水力発電所着工 国内外から疑問の声相次ぐ
中国メディアによると、同水力発電プロジェクトは7月19日、チベット自治区林芝(りんし)市で起工式が行われ、李強首相が自らプロジェクトの正式な開始を発表しました。このプロジェクトは「川の蛇行部分を直線化する」手法と「トンネルによる導水方式」を採用し、下流に5つの連珠型水力発電所を建設する予定です。その規模は三峡ダムの5倍に及び、かつてない超大規模の水利工事として注目を集めています。
しかし、この巨大プロジェクトにはすぐさま多くの疑問の声が噴出しました。7月24日、X(旧Twitter)のユーザー・「Gancheng Wang」が「ヤルンツァンポ川水力発電:習近平への10の質問」と題した投稿を行い、プロジェクトの深刻なリスクと意思決定の欠陥を指摘しました。要旨は以下の通りです。
1、計画地は地質構造のプレート衝突地帯にあり、地震が多発する地域です。1950年にはマグニチュード8の大地震も発生しました。施工や維持の難易度は極めて高いですが、十分な調査と検証は行われたのでしょうか。
2、このプロジェクトは巨額の投資を伴い、生態系にも重大な影響を与える可能性があります。それにもかかわらず、全国人民代表大会での審議や投票は実施されたのでしょうか。
3、計画地はインドとの国境からわずか30〜50キロの距離にあります。万が一事故が発生すれば、インドに甚大な人道的・経済的被害が出る恐れがありますが、そうしたリスクは考慮されているのでしょうか。
4、周囲数百キロメートルにわたって複雑な地形が広がり、工事の難易度は高く、生態破壊の範囲も拡大する可能性があります。実現可能性や環境保全の対策について、十分に検討されたのでしょうか。
5、水力発電の総合的な費用対効果については、すでに疑問視されており、欧米諸国ではダムの撤去が進められています。そのような中で、危険性の高い地域に巨大ダムを新たに建設することは、先進国の経験に逆行するものではないでしょうか。
6、中国には原子力発電や火力発電の成熟した技術があり、広大な国土を活かして展開することも可能です。それでもなお、なぜあえて危険な水力発電を選択するのでしょうか。
7、この計画は長年にわたりインドから反対されてきました。今回の強行着工は、インドとの軍事的な対立を見据えているのでしょうか。
8、現在、世界ではAI技術革命が進行しており、産業の効率化によって将来的に電力需要が減少する可能性もあります。1.2兆元もの巨額を投じて建設しても、完成と同時放棄されてしまう恐れはないのでしょうか。
9、現在の中国社会では、さまざまな矛盾が噴出し、各地で反社会的な事件が発生しています。これほど大規模で複雑なプロジェクトには、いかなる緩みも許されません。人為的な事故をいかにして防ぐのでしょうか?
10、経済は深刻な縮小傾向にあり、多くの省・市が財政難に直面しています。その中でこれほどの巨大プロジェクトを進めることは、財政や金融の危機をさらに悪化させる恐れがありますが、そのリスクは十分に評価されているのでしょうか。
地震多発地帯での巨大水力発電は「世紀的な災害の火種」
ドイツ在住の水利専門家・王維洛(おう・いらく)氏は仏国際ラジオ局(RFI)に対し、ヤルンツァンポ川水力発電プロジェクトはすでに動き出しているにもかかわらず、公開された完全な実現可能性調査報告書が見当たらないと指摘しました。ヒマラヤ山脈は地球上で最も若い造山帯の1つで、地殻運動が続いており、地震や地滑りの頻度は極めて高いと警鐘を鳴らしています。
評論家の唐靖遠(とう・せいえん)氏は、自身のチャンネルでの投稿で、ヤルンツァンポ川水力発電計画は典型的な「人間が自然をねじ伏せる思想」であり、自然環境に対する破壊度が極めて大きいと批判しました。プロジェクトの所在地であるメトク県は複数の地震断層帯が交わる地点にあり、設計上のわずかなミスや地震によって「世紀的な大災害」を引き起こしかねないと指摘しています。
唐氏は、同計画が地形・生態系・さらには地域の気候にまで大きな影響を及ぼす可能性を挙げ、技術・経済データが公にされず、意思決定が密室で進められている不透明さを最大の問題点として批判しました。
ネット上でも次のような声が相次いでいます。
「これは個人の意志が制度を凌駕する統治であり、一存で物事を決め、結果など顧みない」
「杭州市は飲用水でさえ保障できないのに、断層帯でダムを造るのは自滅である」
「これはチベットの生態・地質の大惨事であり、中共(中国共産党)が死を迎える直前に行う狂気の賭けである」
スターリン風の巨大ダム計画なのか?
このヤルンツァンポ川下流域の水力発電プロジェクトについて議論する前に、2冊の本を紹介します。
1つはパトリック・マッカリー著『沈黙の河』、もう1つはブラフマ・チェラニー著『水――アジアの新たな戦場』です。
マッカリーは三峡ダム建設前に「三峡はスターリン主義の最後のプロジェクトだ」と述べました。しかし、彼が予想できなかったのは、中国が三峡ダムの後に、さらに大規模で、さらに狂気的なスターリン主義的プロジェクトへと進んでいたということです。
チェラニーは「将来の戦争は石油ではなく水資源をめぐる争いとなる。最も戦争が起こりやすい場所は、アジアの『水の塔』であるチベット高原だ」と指摘しました。
実際、ヤルンツァンポ川本流の中流域にはすでに水力発電ダムが密集しています。加查(かさ)峡谷(きょうこく)の38キロ区間にはギャツァ県、蔵木(ぞうぼく)、街需(がいじゅ)、大古(たいこ)、巴玉(はぎょく)の5基のダムが並び立ち、さらに下流には冷達(れいたつ)、仲達(ちゅうたつ)、朗鎮(ろうちん)の3基が続いています。100キロに満たない河道に8基ものダムが集中し、自然河川の生態はほとんど息の根を止められたも同然です。
頻発する地質災害 歴史記録は衝撃的
ヤルンツァンポ川下流域は、世界でも最も危険な地質活動帯の1つとされています。
1950年8月15日、メトク県でマグニチュード8.6の地震が発生し、中国史上最大級の地震性山体崩壊を引き起こしました。
2018年10月17日、ニンティ市で大規模な山体滑落が発生し、貯水量5億5000万立方メートル超の堰止め湖が形成されました。同年10月29日、再び滑落が発生し、川道が塞がれ、二次的な洪水の危機を引き起こしました。
複数の調査や衛星画像は、過去数十年にわたってこの地域で氷河活動に起因する崩落、河道閉塞、地滑り、土石流が繰り返し発生していることを示しています。
ワシントン・ポスト紙は、研究者らが「地震が多発し、極度に急峻な峡谷で、これほど大規模な工事を行うことは、滑落のリスクを防ぎきれないばかりか、施工そのものが地質的不安定性を増幅させかねない」と懸念していると報じました。たとえダム本体が耐震性を備えていたとしても、周辺山体の滑動による二次災害は予測不能の脅威として残り続けます。
巨額の資金、自然環境、そして政治的意図が複雑に絡み合うとき、「世紀のプロジェクト」は「世紀の大惨事」へと転じる可能性があります。
(翻訳・藍彧)
