テレビや本、雑誌などで、スポーツや競技の試合、あるいは選挙など、さまざまな競争において、負けたまたは選ばれなかったほうのことは「敗北(はいぼく)」と呼ばれるのをよく目にします。その語源を探ってみると、古代中国において戦で負けることを「敗北」と言いました。しかし、それはなぜなのでしょうか?この記事では、「敗北」の語源についてご紹介します。
甲骨文字の「北」は、一人が左を、もう一人が右を向いて、まるで二人が背中を向け合っている姿をかたどった会意文字となります。最も古い漢字辞典である『説文解字』にも「『北』とは、二人が背中を合わせること①」と記されています。古代中国語では「北」は実は「背」と同じ意味でした。
古代の戦において、敗れたほうはいつも敵に背を向けて逃げます。これに対して、勝ったほうは敗れたほうを後ろから追撃します。そのため、「北」という文字には「負ける」「敗走する」の意味を持っています。たとえば、『韓非子』には、「三回戦って三回負けた②」という文の中の「負けた」を「北」と表現しています。また、賈誼は『過秦論』で、敗走する敵を「北」と表現しています③。
したがって、「敗北」とは戦いに敗れて逃げることを指します。たとえば、項羽が劉邦の漢軍に垓下(がいか、現在の安徽省宿州市霊璧県)で包囲され、やがてその重囲を突破したとき、そばにいる兵士たちにこう語りました。
「私が挙兵してから八年が経ち、これまでに七十回以上の戦いを経験してきた。私の前に立ちはだかった者はすべて打ち破り、私を攻めた者も、私がすべて征服してきた。私は一度も敗戦したことがなかったからこそ、天下に覇を唱えることができたのだ④」ここでの「敗戦」も、「敗北」という表現が使われていました。
以上のことから、古代中国人の言う「敗北」とは、「戦いに敗れて背を向けて逃げること」を意味します。その後、この意味が受け継がれましたが、次第に「敗北」は戦争に負けることだけでなく、さまざまな競技や勝負ごとで負けることを指す言葉として、広く使われるようになりました。
ただ、「敗北」と言っても、敗れた者が必ず北へ逃げたというわけではありません。逆に、中国歴史上の大きな戦いでは、敗れた軍隊が南へ逃げるケースが多かったのです。さらに勝ったほうが「勝南」などとは言いません。では、「敗走」の意味を持つ「北」という言葉が、どうやって方角を表す「北」になったのでしょうか?
中国では昔から「南向き」が良いとされてきました。日中の日照時間が長い、健康に良いなどの理由から、中国人は南向きの家を建てることを好みました。この習慣は一般庶民から皇帝まで共通しており、皇居も南向きに建てられ、宮殿やお寺などの建築物の正面も南を向き、皇帝の玉座も「北を背にして南に向く」ように置かれ、皇帝が南向きに座ったのです。
一方、皇帝と異なる意見を持ったり、皇帝に反旗を翻したりする人は、皇帝の意向に背くことになるため、「背く」という意味を持つ漢字「北」が選ばれ、皇帝が面している「南」と正反対の方角を指す漢字に転じました。
以上、「敗北」という言葉に「北」が使われた理由とその語源について紹介しました。もし中国が南半球に位置していたら、まったく異なる呼び方になっていたかもしれません。奥深い中華文化は、すべてが「天人合一」の思想に基づき、人間が自然に順応し、天地との調和を重んじる中で生まれた知恵なのです。
註
①中国語原文:北:乖也。从二人相背。(許慎『說文解字・卷九<北部>』より)
②中国語原文:魯人從君戰,三戰三北。(韓非『韓非子・五蠹』より)
③秦有餘力而制其敝,追亡逐北,伏屍百萬,流血漂櫓。(賈誼『過秦論』より)
④中国語原文:吾起兵至今八歲矣,身七十餘戰,所當者破,所擊者服,未嘗敗北,遂霸有天下。(『史記・本紀<項羽本紀>』より)
(翻訳・心静)