日本では、世界に例を見ない「家紋文化」があり、今でもほとんどの家に家紋があると言われています。
家紋とは、個人や家族を識別するために用いられる日本の紋章で、その数は細かく分類すると3万種以上あるとされています。
このユニークな家紋文化は、いつの時代に、どのような経緯で生まれたのでしょうか?
一、家紋の歴史
平安時代 登場
家紋の発生は平安時代の後期(11~12世紀)になってからと推測されています。当時、貴族たちが、自分の所有する牛車に独自の文様をつけ、ひと目で誰のものかが分かるようにしたことが家紋の始まりとされています。
貴族たちは、自分の牛車につける文様の優美さや縁起のよさを競い合い、自らの地位や身分を周囲に誇示していました。
鎌倉時代 多様化
鎌倉時代(12世紀末~1333年)になると、戦場で敵と味方を識別し、一族の武功を誇示するため、武家が家紋を使うようになりました。
鎌倉時代中期頃には、幔幕や軍旗や刀の鞘など、ありとあらゆるものに家紋が入れられ、武家の殆どが家紋を持つようになりました。

江戸時代 普及
戦乱の世が終わり、江戸時代(1603〜1868)になると、町人も家紋を使うようになります。当時、多くの庶民は苗字を名乗ることは禁止されていましたが、家紋を持つことは禁止されていなかったため、家をひと目で識別できる家紋が苗字の代わりに用いられることが多かったといいます。
明治以後 衰退
明治維新によって日本に西洋文明がもたらされ、人々の価値観も変化しました。西洋の文化や洋装の流行に伴い、家紋の使用も徐々に減少していったと言われています。
現在の日本においては、家紋の使用は主に武道や華道、茶道などの伝統文化や歴史的なイベントなどで見られますが、一般的な日常生活ではあまり見かけることはなくなりました。
二、家紋の源流
家紋の源流は文様にあると言われています。
人類は太古の昔から、さまざまな文様を描いていました。最初のうちは未造作に素朴な線で描いていたのですが、次第に表現力を備えるようになり、さまざまな文様を作り出しました。
日本の場合、平安時代の貴族たちが気に入った文様を繰り返し用いているうちに、その文様がその人の印と見られるようになり、やがてその文様は一族の家紋にまで発展しました。
伝統的な家紋の図柄は、単純から複雑へ、少数な原型から多様な模様にアレンジされ、また、植物、太陽、月、星や風、花、雪など自然を表すモチーフから、 船、馬、武器、弓矢などへと、家紋の題材は広まっていきました。
しかし、いかに図形が変化しようとも、その発祥や起源を探ると、必ず「卍」と「巴」という二つの神秘的な図形に辿り着きます。それらが全ての始まりだったのではないかと思われます。
卍紋
卍(まんじ)は古くから世界各地に現れ、神聖な印として大切に扱われてきました。
バビロンやアッシリアでは、太陽を象った形として卍が用いられており、古代インドの仏教では、仏陀の胸や手足に吉祥、瑞祥の印として現れていました。
卍は仏教とともに中国から日本へ伝来しました。最古の卍文様は奈良時代の薬師寺中尊薬師如来に刻まれています。以来、日本では広く寺院の記号として使われ、現在の地図にも用いられています。
卍が持つ吉祥の意味は古くから好まれていました。その魅力的な図形から、人々はインスピレーションを受け、卍をつなぎ合わせることによって、さらに数多くの模様を作り出しました。
卍紋は日本の家紋に用いられる代表的な紋の一つとなっています。
巴紋
巴も世界の古代人に共通して用いられた文様です。
日本では、この渦巻模様は縄文土器にも見ることができます。他にも、中国古代の殷の時代に現れており、ロシア南部の石器時代の遺跡などでも見られます。
巴は永遠の動きを感じさせる渦巻のような形をしており、見る人に神秘感を与えます。現代の天体写真から、壮大な渦巻星雲が巴の形をしていることが分かります。巴は宇宙のパワーを持っている図形です。
平安時代の公家で最初に牛車に自家独自の文様を用いたのは、巴の文様でした。
南北朝時代から室町時代初期に完成した『尊卑文脈』には、「当家の車紋は、鞆絵(ともえ)である。……正嫡一人にゆずる」と書かれています。
そして、巴紋は基本図形から、一つ巴、二つ巴、三つ巴、四つ巴など数多くのバリエーションが生み出され、多くの家や社寺に用いられるようになりました。
その他にも、卍巴(まんじどもえ)という言葉があります。それは互いに相手方を追うように入り乱れた状態という意味として使われていますが、卍と巴、この二つの形が浅からぬ関係にあることも意味しているのではないでしょうか。
卍も巴も人類にとって何かを象徴する神秘的な文様です。
三、日本のかけがえのない伝統文化
人類は遥かなる古代に素朴な形としての文様を描きました。日本の場合、その文様は縄文時代の巴や仏教と共に伝来した卍などが、単純な図形から平安時代の公家の標章となり、そこから家紋が発祥しました。そして、それが武家の旗印として戦場で洗練され、定着し、やがて一般庶民の家々にまで広がりました。
長寿を象徴する亀、伝説の瑞鳥、吉祥のシンボルとしての松、竹、梅など……、それぞれの家紋には、その家系の先祖たちの繁栄や幸運を願う気持ちが込められており、それぞれの家系の歴史が刻まれています。
中国の古典「易経」には、「善行を積み重ねた家では、その福慶の余沢が必ず子孫に及ぶ(積善之家必有餘慶)」と言う言葉があります。それは「善行を積み重ねた家には、その結果として子孫に必ず幸福が訪れる」という意味です。
考えてみれば、今の我々がここにいるのは、我々の祖先たちが積んだ徳のおかげによるものではないでしょうか。
家紋は、先代達が行って来た徳行も含まれている、かけがえのないものです。
現代では核家族化が進み「家」や「家紋」を意識する機会は減ってきており、家紋に触れる機会も少なくなっています。
家紋は日本独自の伝統文化です。これからも大切に次の世代へと伝えていきたいものです。
参考文献:
『卍の魔力、巴の呪力 家紋おもしろかたり』泡坂妻夫 新潮選書 2008年
『家紋で読み解く日本の歴史』鈴木亨 学研研究社 2003年
(文・一心)