(イメージ / Pixabay CC0 1.0)

 生活の中で、思いがけないトラブルや挫折に遭ったり、時には、濡れ衣を着せられたり、暴言を浴びられたりすることもあるでしょう。その時、われわれはどう対応すればいいのでしょうか。

 次のエピソードは、屈辱に耐え忍ぶ二人の僧侶のお話です。

一、濡れ衣に一言も弁解しなかった白隠

 白隠慧鶴(1686〜1769)は江戸時代の高僧です。白隠は東海道原宿に生まれ、15歳で出家し、各地を行脚した後、静岡の松蔭寺の住職を務めました。白隠は生涯にわたって仏道に精進し、衆生済度に努め、臨済宗の中興の祖とも言われています。

 白隠が沼津の松蔭寺に住んでいた頃のことです。

 当時、ある檀家の娘が妊娠するという事件が起きました。父親から、「誰の子か」と厳しく問いつめられ、答えに困った娘は、日頃から父が白隠禅師を崇拝していることを思い出して、「白隠さんの子どもです」と、嘘を言ってしまいました。

 腹を立てた父親は、やがて月満ちて生まれた赤ちゃんを抱いて白隠を訪れ、「人の娘に子どもを生ませるとは、お前はとんでもない坊さんだ。さあ、この子を引き取れ」と、白隠に赤ちゃんを押し付けて帰ってしまいました。

 白隠は、その後、人々に罵られながら、もらい乳をして歩き赤ん坊を育てました。ある雪の日、いつものように赤ん坊を抱いて托鉢する白隠の後ろ姿を見た娘は、ついに耐えきれなくなり、ワッと泣き出して、父に本当のことを打ち明けました。

 びっくりした父は、白隠のところへ行き、平謝りに謝りました。

 白隠は、「ああ、そうか。この子にも父があったか」と淡々と言って、子どもを返しただけで、娘や父を非難する言葉は一言もなかったそうです。

 それから、一家は白隠のことを仏の如く拝むようになりました。

 噂は地元に広まりました。白隠は前にも増して人々から慕われるようになり、寺を去った僧侶たちも戻って来て、寺はますます栄えました。

 白隠は「五百年に一度の大徳の士」と称えられ、「駿河には過ぎたるものが二つあり、冨士のお山に原の白隠」と、その功績は富士山にも匹敵すると称賛されています。

二、「怒っていないから、許すも何もない」と言った大興和尚

 同じことが中国でもありました。それは九華山の大興和尚(1894〜1985)の話です。

 中国安徽省の九華山は、中国四大仏教名山(五台山、九華山、普陀山、峨眉山)の一つで、古代から現代に至るまで、多くの僧侶がここで修行していました。

 九華山の麓にある地主の家の娘は未婚で出産してしまいました。 両親から「父親は誰か」と厳しく問い詰められた末、娘は仕方なく、「九華山の大興和尚の子です」と嘘を言ってしまいました。

 激怒した父親は、寺に押し入り、大興和尚を怒鳴りつけ、赤ちゃんを押し付けました。突然の出来事にも、大興和尚は顔色ひとつ変えず、赤ちゃんを抱きかかえ、ただ 「阿弥陀仏、善哉善哉!」とお経を唱えました。

 それ以来、地元で有名な大興和尚は、突然「品行の悪い僧侶だ」と人々に罵倒されるようになりました。しかし、大興和尚はそれを全く気にせず、毎日のように山を下り、もらい乳をし、赤ちゃんを育てました。

 3年後のある日、立身出世して帰郷した青年は地主の家を訪ね、「娘さんを僕にくださいl」と両親に結婚を申し込み、そして「あの子は私たちの子供です。大興和尚は無実です」と、衝撃的な真実を告げました。

 呆然とした両親は悔やんでも悔やみ切れず、皆で寺に行き、両膝をついて頭を下げ、大興和尚に許しを乞い、子供を返してほしいとお願いしました。

 大興和尚は「最初から怒っていないから、許すも何もない」と、何事もなかったように子供を返し、そして、両手を合わせ、「阿弥陀仏、善哉善哉!」とお経を唱えながら禅室に戻って行きました。

 大興和尚の忍辱負重(にんじょくふじゅう)の話は広く伝わり、多くの人々を感動させました。

 1985年2月17日、91歳の大興和尚は安らかに入寂しました。驚いたことに、彼の遺体は腐敗することなく、三十数年が経った今でも、その容貌は生前と変わらないままだそうです。

 

 最後に

  濡れ衣に対し弁解もせず、理不尽な暴言にひたすら耐え忍ぶことは、決して容易なことではありません。それは二人の高僧が並々ならぬ強い意志を持っていたからできたことでしょう。

 私たちはそのような極端なことに遭遇しないかもしれませんが、生活の中で、誤解されたり、悪口を言われたり、いじめられたりすることもあるでしょう。また、気に入らないことがあるとキレたり、人を非難したり、悪口を言ったりする経験も持っているかもしれません。もし、誰もが常に寛容と忍耐の心を忘れず、優しさと思いやりの気持ちを持って人に接することができれば、この世の中はきっと温かくて優しくて美しいものになるのではないでしょうか。

 この高僧たちの行いから学びたいと思います。

(文・一心)