私は63歳で、妻と二人での年金は月に15000元(約30万円)あります。多くの同年代の方々に比べて、この年金は相当な額です。退職前、私は公的機関でシニアエンジニアとして働いており、妻は市立病院で内科医をしていました。以前の職場から復職の申し出がありましたが、私たちは慎重に考えた末に辞退しました。

1、田舎での老後生活を決意

 息子と嫁は上海で働いており、仕事も収入も良く、孫も全寮制の寄宿学校に通っているため、家族全員が心配することなく安定して暮らしています。そのため、私たちはまだ体が動けるうちに、田舎に移り住んでのんびりとした田園生活を楽しむことを決めました。

 私たちの故郷は江西省北部にある小さな村で、美しい景色が広がり、老後には最適な場所です。そのため、妻と話し合った結果、故郷に戻り、理想の田園生活を送ることに決めました。

 しかし、予想以上に田舎での生活は順風満帆ではありませんでした。最終的には様々な困難に直面し、結局そこを逃げ出すことを決断しました。その苦労や辛さは、おそらく自分たちしか分かる人はいないでしょう。

2、故郷への旅立ち

 陽気に満ちた暖かい春、私と妻は故郷への旅に出ました。小さな村は碧い水に囲まれ、道路脇には菜の花が咲き誇り、桃色や柳緑の景色が広がっていました。この美しい景色を見て、故郷での老後生活が最も正しい選択だと確信しました。

 故郷に帰ってみると、両親が生きているときに送ったお金で建てたレンガ造りの家が、兄によって取り壊され、代わりに三階建ての家が建っていました。そして、私が所有する小さいな2つの部屋は雑多な物で溢れていました。帰宅すると、兄夫婦や近所の人々からの温かい歓迎の声に包まれ、心がほっこりと温かい気持ちになりました。

 その瞬間、身近な人々の懐かしい地方の言葉を聞きながら、幼い頃から飲んでいた水を飲むと、たくさんの感慨が湧き上がります。長年離れていましたが、やはり故郷はくつろげる場所です。落ち葉が根に帰るという言葉があるのも納得がいきます。

3、生活の準備を整える

 兄が家の雑多な物を整理し、私もいくつかの修繕をし、そのついでにトイレを新たに設置しました。長年家に戻っていなかったけれど、兄が家を手入れしてくれたおかげで、最初の姿を保っています。

 日常生活用品を整えた後、妻とともに田舎での生活を本格的に始めました。朝は鳥のさえずりで目を覚まし、田畑を散歩して新鮮な空気を吸うことができます。朝食にはおかゆと漬物が最高でした。

 妻と話し合った結果、運動不足の解消と新鮮な野菜が食べられることで、自分たちで野菜を栽培することにしました。二人で家の前の土地を整地しました。作業は少し大変だったが、二人のやる気でかえって楽しいと感じました。次は植え付けの準備に取りかかります。

4、予想と違い、生活は難題も

 時間が経つにつれて、多くの不便があることに気づきました。村の経済が発展しておらず、日用品を手に入れるためには町まで農用車で行かなければなりません。1回あたりの料金は5元(約100円)もかかり、高くはないですが、農用車での移動はとても座り心地が悪く、平坦な道路でさえ「ジェットコースター」のような感覚です。

 端午節の前に、息子が上海から贈り物を送ってきました。妻と一緒に農用車で受け取りに行くことになりました。ところが、車の所有者はなんと40元(約800円)も料金を請求し、なおかつ荷物にまで料金を取ろうとしました。口論を避けるために、仕方なく40元を払いましたが、内心は不満でいっぱいでした。

 また、私たちが栽培した野菜が収穫時になると、村のおばあさんに勝手に摘まれ、その上「この土地は私の家のものだ、今後二度と植えるな」とまで脅されました。

 それに加えて、義理の姉も不満を口に漏らし始めました。「私たちはみんな農村出身者で、公務員のような生活は比べものにならない。退職しても給料がもらえて、仙人のような生活を送っている」と言われました。

 義理の姉の不満を聞いて、これまでのことを振り返ってみましたが、彼女を怒らせるようなことをした覚えはありませんでした。宅急便を受け取るたびに、常に兄夫婦におすそ分けしていますし、生活の中でもお互いに支え合ってきました。

 後で兄に話を聞いたところ、私と妻がお金に余裕がある様子を見て、義理の姉が嫉妬したようです。私たちの状況が良いことから、彼らをあまり助けていることがあまりに少ないため、何の親しみも感じていなかったようです。

 その他にも、村の人々の中には、妻が退職前に大きな病院で医者をしていたことを知っている人々がいて、腰痛などの病気で診察を受けたり、親戚を連れて山を越えて診察を受けに来たりする人々もいました。本来なら、村人同士で助けることができるなら助けてあげようと思っていましたが、妊婦の出産を手伝うよう求められることもありました。その結果、妻の血圧が上がってしまい、さまざまな問題が生じました。

 人間関係の面でも、親戚までが口を挟むようになり始めました。叔父の孫の結婚で、兄と私がそれぞれ800元(約16000円)の贈り物を送りました。しかし、私たちの生活条件が良いからこそ、2000元(約4万円)を贈るべきだと親戚から言われました。

 このような生活は、私と妻が望んでいた田園生活とは程遠いものでした。二人で話し合った結果、年が明けたら上海に戻ることを決意しました。そうでなければ、いずれは良く思われない「いいカモ」になるだけでしょう。しかし、ある日、散歩の帰り、家の窓ガラスが割られ、息子から送られてきた炊飯器や調味料などが盗まれたと気づきました。

 その瞬間、妻と共にできるだけ早くそこから離れることを決意し、急いで荷造りをして慌てて逃げることにしました。

5、情熱より実生活のほうが大切

 たった1年の田園生活を通じて、情熱が現実の生活には及ばないことに気づかされました。時代の移り変わりとともに、私の思い出の小さな村も初めの姿ではなくなっています。

 実際、小さな村を離れた瞬間から、私と近隣との間にはすでに距離が生じ始めていました。私は遠くを追い求め一方、彼らはまだその場に留まっているのです。

 つまり、隣人たちが変わったのではなく、私自身が変わったのだということに気づきました。長年にわたる異なる生活環境や社会の中で、私たちはもはや完全に溶け合うことはできないと宿命付けられていたのです。

 この世には直視できないものが2つあります。太陽と人の心です。

(翻訳・藍彧)