學琴師襄(清・焦秉貞「孔子聖跡圖」局部)

一、国宝「碣石調幽蘭第五」(けっせきちょう ゆうらん だいご)

「碣石調幽蘭第五」は、現存する最古の古琴の楽譜で、通常の漢字を使った「文字譜」という方式で記している唯一のものでもあります。

 古琴の楽譜には、「文字譜」と中唐時代に作られた「減字譜」がありますが、「碣石調幽蘭」(以下「幽蘭」と言う)は「文字譜」の形をとり、一音一音について、左手の指をどこに置いて右手の指でどのように弾くかといったことが、文章で綴られています。

 文字譜は中国では散逸し、日本にのみ残っています。

 「幽蘭」は梁(502年 – 557年)の末期に生きた古琴の名手・丘明(きゅうめい)が伝える「琴譜」の抄本とされています。

 楽譜は紙の巻物に墨で手書きされ、唐楷の斉整な書風で、初唐の書写と推定されています。1行に20字ほどで、全部合わせて224行からなり、4950の文字が用いられています。 

 「幽蘭」の楽譜はいつ、どのように日本に伝来したのか、その詳細は不明ですが、明治4年(1871年)から21世紀の初頭まで、京都・西賀茂の神光院に所蔵され、その後、東京国立博物館に保存され、現在、日本の国宝とされています。

碣石調幽蘭第五の冒頭部(パブリック・ドメイン)

 「幽蘭」は中国において、1000年以上もの間失われていました。清朝の外交官として日本に滞在していた黎庶昌(れいしょしょう)が『古逸叢書』(こいつそうしょ)に収録して、中国で漸く広く知られるようになりました。

二、「碣石調幽蘭第五」について

 「碣石調幽蘭第五」は、1500年前に書かれたもので、その来歴は多くの謎に包まれています。

 ここでは、「幽蘭」にまつわる幾つかの見解をご紹介したいと思います。

1) 曲を演奏と伝承した人物が丘明という説

 この曲を伝えたのは、南北朝時代の梁の末期に生きた丘明(493~590年)という琴の名手だとされています。

 楽譜の序文には、このような記述があります。

 「会稽(かいけい)の丘明という人物が南朝梁末に九疑山に隠棲していたが、古琴をよくし、『幽蘭』の曲はもっとも優れていた。その曲風は微妙にして志は遠く、人に伝授することができなかった。陳(557〜589)の禎明3年(589)に宜都王叔明に伝授し、隋の開皇10年(590)に丹陽県に没した。享年97才だった。子は無かったので、その琴声はわずかなものが遺るだけとなった」(※注2)。

 「幽蘭」は丘明によって作曲されたものだ、という意見がある一方、曲は丘明が作ったものではなく、「彼に教えた師匠がいるだろう、少なくとも彼がいた時代より前からその曲は存在し、彼は曲の演奏と伝承をした人物だ」という見方もあるようです。

2) 孔子による作曲という説

 「幽蘭」と孔子については、後漢(25年〜220年)の蔡邕(さいよう)が著した『琴操』(注2)に次のような逸話があります。

 「むかし、孔子は諸国を歴訪して諸侯に謁えたが、官につくことができなかった。衞国から魯国へ帰る途中、幽谷に蘭の茂るを見て、『蘭は王者の香と為すべきものであるが、今、ただひとりで茂り、衆草と伍(なかま)となっている』と嘆じて言った。そこで孔子は車を止め、琴を援き、これを弾じた」

 孔子は、衆草の中にあって毅然として王者の香りを放つ幽蘭に、己れの姿を重ねて見たのでしょう。いずれの国も己れを受け入れてはくれず、疲れきって帰途につく孔子の憤懣やるかたない思いが伝わってきます。

 孔子は思想家であると同時に琴の名手としてもよく知られています。

 もちろん、孔子が演奏した「幽蘭」は、これとは別物だと言う見方もあります。

3) 幽蘭はキク科の薬草であるという説

 幽蘭と言えば、人々は艶やかな蘭の花だと連想し易いのですが、それは誤解のようです。史料によると、唐代以前の中国の詞や詩に登場する蘭は、現在人々に愛される華やかな蘭花を指すのではなく、雑草に紛れて咲く「佩蘭(フジバカマ)」のことをいいます。「佩蘭(フジバカマ)は、名前には「蘭」がつくものの、蘭とは関係のない菊科の薬草です。

「佩蘭(ふじばかま)」と呼ばれる「蘭」(Algirdas at the Lithuanian language Wikipedia, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

 古代中国では、佩蘭は神聖な植物とされ、薬草として使用する他、香り高い蘭の湯で禊の儀式をしたり、身に帯びて邪気を祓ったり、匂袋に入れて香水の代わりにしました。

 蘭は晩秋に開き、幽谷に育ち、人知れず花を咲かせ、芳香を漂わせる姿から「君子の高潔さ」「君子」「賢人」の象徴として文人名士に最も好まれる花の一つです。

三、古琴による「幽蘭」の演奏

 古琴の性格といえば、「静かで、上品で、繊細である」と語られます。古琴はその音色が独特で、他の楽器と調和することが難しく、聴衆のために奏でるものでもありません。「琴」を嗜む人が自らのために奏でるか、真の友人(知音)と心を傾けながら演奏することが一般的で、 まさしく孤高の修行者のような性質を持っています。

 「琴」では絹弦が使われ、音は小さく、奏者は静かな環境で物思いにふけ、心を清めて奏でることが求められます。老子が「道徳経第41章」に書かれたように、「大音は希声なり」、つまり、「真実の大音は、かえって耳には聞こえないほどの微(かす)かな音(希声)である」という思想を見事に表現する楽器だと言えるでしょう。

 「碣石調幽蘭第五」は、1500年もの間大切に保存され、原曲をとどめ、古代音楽がそのまま現代に伝わっていることは奇跡と言うしかありません。それにまた絹絃を張った琴で、その時とまったく同じ音色で奏でるのは、日本人奏者の伏見无家さんです。

 ご興味ある方は是非、この世界最古の古琴の楽譜を持つ「碣石調幽蘭第五」を心を静めてご鑑賞ください

 (注1) 梁(りょう、502557)は、中国南北朝時代江南に存在した国である

 (注2) 中国の琴書。後漢蔡邕(さいよう)(132‐192)著。古代の琴曲と作者を解説したもの。

 (注3)原文: 丘公字明,会稽人也。梁末隐于九嶷山,妙绝楚调,于《幽兰》一曲尤特精绝。以其声 微而志远,而不堪授人,以陈桢明三年授宜都王叔明。隋开皇十年於丹阳县卒,年九十七。无子传之,其声遂简耳。

 (文・一心)