習近平が将軍を逮捕する場面(AI作成)

 1月24日、中共中央軍事委員会副主席・張又侠の失脚が突然公式に発表され、2026年の中国共産党政界における最も衝撃的なニュースとなりました。

 中国共産党政権の歴史を振り返ると、少なくとも8人の中央軍事委員会副主席が、党内の権力闘争の中で生死の危機に直面してきました。

一、彭徳懐が迫害され死亡

 中国共産党の元帥・彭徳懐(ほう とくかい、1898年―1974年)は長年にわたり毛沢東に従い、1949年に中央人民政府軍事委員会副主席に就任しました。

彭徳懐(ほう とくかい、1898年―1974年)

 1959年、彭徳懐は毛沢東の誤った経済政策を批判し、毛沢東から「反党集団」の頭目とされ、国防部長の職を解かれました。

 1966年の文化大革命中、彭徳懐は自由を奪われ、尋問中に肋骨を折られるなどの迫害を受けました。1974年11月、8年間の拘禁を経て、76歳で亡くなりました。

二、賀竜が迫害され死亡

 彭徳懐の解任後、中国共産党の元帥・賀竜(が りゅう、1896年―1969年)が中央軍事委員会第二副主席に就任し、軍の日常業務を統括しました。

賀竜(が りゅう、1896年―1969年)

 1966年に文化大革命が勃発すると、賀竜はクーデターを企てたとの冤罪を着せられ、投獄されました。糖尿病を患っていた賀竜は、獄中で心身ともに大きな苦痛を受けました。

 賀竜は1969年6月、北京の301医院で亡くなりました。賀竜夫人の薛明は『賀竜の最後の歳月』という本の中で次のように記しています。「賀竜元帥が逝去する16分前の血糖報告書では、血糖値が正常人の十数倍に達していた。これは高用量のブドウ糖が静脈注射されたことによるものだ」と。

 糖尿病患者は糖分を最も避けるべきとされていますが、医師は賀竜に高用量のブドウ糖を注射しました。これは毛沢東が彼の命を意図的に奪おうとしたものだと指摘する見方もあります。

三、林彪が飛行機墜落で死亡

 中国共産党の元帥・林彪(りん ぴょう、1907年―1971年)も長年の毛沢東支持者であり、いくつかの重要局面において軍幹部として毛沢東を強く支援しました。

林彪(りん ぴょう、1907年―1971年)

 1966年、毛沢東が文化大革命を発動し、劉少奇の打倒を図った際、林彪は再び毛沢東を強力に支持しました。毛沢東は林彪を後継者に指名し、その地位は第九回党大会の党章にも明記されました。

 その後、文化大革命をめぐり両者の意見は対立しました。毛沢東は「プロレタリア文化大革命を最後まで貫徹する」と主張し、林彪はできるだけ早期に文化大革命を終結させ、生産を回復し、今後10年以内に生死を賭けた内闘を避けるべきだと主張しました。

 1970年の廬山会議で両者の対立は公然化しました。その後、毛沢東はさまざまな手段で林彪を党内で孤立させました。

 1971年9月、林彪夫妻とその息子が搭乗した飛行機がモンゴル領内で墜落し、全員が死亡しました。

四、趙紫陽は軟禁の末に死亡

 1987年、趙紫陽(ちょう しよう、1919年―2005年)は中国共産党中央委員会総書記兼中央軍事委員会第一副主席に就任しました。

趙紫陽(ちょう しよう、1919年―2005年)(Rob Bogaerts / Anefo, CC0, via Wikimedia Commons)

 1989年春、北京で大規模な学生民主運動が発生しました。この運動に対し、鄧小平は軍による鎮圧を主張し、趙紫陽は民主と法治による解決を主張しました。最終的に鄧小平は約20万人の軍を北京に投入し、いわゆる「六四天安門事件」が発生しました。

 1989年6月24日、中国共産党第十三期四中全会で「趙紫陽の反党・反社会主義の動乱における誤りに関する報告」が採択されました。趙は会議でこれを否定したものの、総書記および中央軍事委員会第一副主席の職を解かれました。その後、趙は16年間にわたり軟禁され、2005年1月17日に自宅で病死しました。享年86歳でした。

五、郭伯雄・徐才厚が汚職で査問

 郭伯雄(かく はくゆう)は2002年、徐才厚(じょ さいこう)は2004年に、当時の中国共産党中央委員会総書記・江沢民(こう たくみん)によって中央軍事委員会副主席に任命され、両者は2007年にも再任されました。江沢民が郭・徐を重用した目的は、自身の引退後の代理人とし、後継者である胡錦濤の権限を空洞化させることにあったとされています。

郭伯雄(かく はくゆう)  徐才厚(じょ さいこう)

 郭・徐は中央軍事委員会を10年間にわたり掌握し、官職売買によって巨額の不正資金を得たとされます。

 2014年4月、徐才厚は引退後1年余りで逮捕されました。2015年3月、軍事法院での審理中に病死し、享年71歳でした。

 2015年4月、郭伯雄も引退後2年余りで逮捕され、2016年7月に軍事法院で収賄罪により無期懲役を宣告されました。

六、何衛東が汚職で査問、自殺説も

 何衛東(か えいとう)はかつて東部戦区司令員を務めました。習近平は、台湾武力統一への貢献が期待できる人物と見なし、2022年に異例の抜擢により中央軍事委員会副主席へ昇進させました。

何衛東(か えいとう)

 2025年3月、何衛東は突然、軍紀律検査委員会に連行され、調査を受けました。2025年10月、中国共産党国防部報道官は、何衛東および苗華ら9人の上将が重大な規律違反・法令違反により司法機関へ移送されたと発表しました。

 中国共産党軍報は、何衛東の問題について「忠誠を失い節操を欠いた」「党の銃指揮原則および軍事委員会主席責任制を深刻に破壊した」と報じました。米国在住の時事評論家・蔡慎坤氏は、何衛東はすでに自殺したと伝えています。

七、張又侠が捜査対象に

 張又侠(ちょう ゆうきょう)は2017年に中央軍事委員会副主席に就任し、2022年に72歳の高齢で再任されました。

張又侠(ちょう ゆうきょう)(Kremlin.ru, CC BY 4.0, via Wikimedia Commons)

 張又侠の家族と習近平の家族は数十年来の交友関係があり、張又侠の父・張宗遜は中国共産党の「開国上将」、習近平の父・習仲勲は中国共産党第一世代の指導者でした。

 張又侠は、中国共産党軍内で数少ない実戦経験を持つ高級将領であり、習近平の終身国家主席体制を支える重要な役割を果たしてきました。

 しかし今年1月、76歳の張又侠の失脚が突如公式に発表されました。中国共産党軍報の社説は、張又侠が「軍事委員会主席責任制を深刻に踏みにじり破壊した」ほか、重大な腐敗問題があると報じています。

 張又侠事件の影響は極めて大きく、規模も異例であり、現在も進行中です。中国共産党上層部の政治は「ブラックボックス時代」に入ったとも言われ、張又侠失脚の真の理由は外部には明らかにされていません。

なぜ中央軍事委員会副主席8人がいずれも厄運に見舞われたのでしょうか

 中国共産党は軍によって支配を維持しており、最高指導者が最も恐れるのは軍によるクーデターです。そして、最もクーデターを起こす能力を持つのは、最高指導者に次ぐ権力を持つ中央軍事委員会副主席です。これこそが、中央軍事委員会副主席に就いた者が厄運を逃れにくい主な理由であると考えられます。

(翻訳・慎吾)