1月7日の早朝6時30分、上海地下鉄15号線と2号線をつなぐ婁山関路(ろうざんかんろ)駅の乗り換え通路は、またしてもあの不快な異臭に包まれました。足早に行き交う通勤客たちの顔に浮かんだのは、単なる不快感というよりも、「またか」という諦めに似た疲労感でした。わずか2ヶ月前の2025年11月16日にも、全く同じ場所が、「パリ・プランタン(巴黎春天)百貨店が管轄する汚水管からの逆流」という全く同じ原因によって水浸しになったばかりです。世界屈指の管理能力を誇るはずの上海という巨大都市で、60日という十分な猶予期間があったにもかかわらず、まるで何事もなかったかのように汚水は再び溢れ出しました。
これは決して、一過性の衛生トラブルではありません。視野を過去5年間(2020年〜2026年)、そして中国全土へと広げてみれば、「漏水」「浸水」「異臭」といった事象が、中国の都市鉄道システムにおける根治困難な「持病」となっている事実に突き当たります。繰り返されるこの汚水騒ぎは、数十年にわたり猛烈なスピードで進められてきた中国のインフラ建設が、「建設偏重・維持管理軽視」そして「接続部の管理不全」という歪みを抱え、そのツケがいよいよ回り始めたことを告げる警鐘に他なりません。
婁山関路駅の一件は氷山の一角です。ここ数年、中国各地の地下鉄では類似のトラブルが頻発しています。2021年の鄭州豪雨は極端な災害でしたが、地下空間の水害に対する脆弱さを残酷なまでに露呈させました。また、平時においても漏水は業界内で「静かなる流行病」と化しています。深センのような多雨地域では、台風シーズンになると「外は大雨、駅ナカは小雨」という皮肉な光景も珍しくありません。比較的古い路線では、コンクリートの経年劣化や防水層の不具合により、駅員が土嚢やバケツを常備することが半ば常識となっています。南寧や大連でも、配管の老朽化や内装材の落下といった事故が散見されます。これらは、世界一の総延長と建設スピードを誇る「中国の奇跡」が、時間の経過とともに「構造的な脆さ」を露呈し始めた証左と言えるでしょう。
再び婁山関路駅のケースに戻りましょう。公式発表にある「デパート管轄の汚水管」という言葉には、中国の都市開発が抱える深い闇が隠されています。それは、TOD(公共交通指向型開発)モデルにおける「管理の空白地帯」です。現代の都市計画において、駅と商業施設は地下でシームレスに直結されていますが、そこには施工基準と管理責任の致命的なズレが存在します。
まず、施工基準の乖離(かいり)です。地下鉄は「100年の計」で作られるため、極めて高い防水・耐久基準が求められます。一方、商業施設であるデパートは投資回収サイクルを優先するため、配管などの設備寿命は地下鉄ほど長くありません。老朽化したデパートの排水管が、地下鉄通路の頭上を走っている現状は、言わば重要施設の天井裏に時限爆弾を抱えているようなものです。次に、権限の曖昧さがあります。水漏れの原因はデパート側にあっても、被害を受けるのは地下鉄の乗客です。しかし、地下鉄側にはデパートの設備を強制的に改修させる法的権限がないケースが多く、結局は事後処理に追われることになります。このような「所有と責任のねじれ」こそが、たった一本の配管を2ヶ月も放置させた真因なのです。
さらに深層を探れば、なぜ中国のインフラは外見こそ壮大で美しいのに、細部の品質が追いつかないのかという疑問に行き着きます。過去20年、中国は人類史上類を見ない規模で地下都市を建設してきました。しかし、都市の拡張速度や政治的な記念日(国慶節など)に合わせるための「工期ありき」の突貫工事が、少なからず行われてきたことは否めません。
特に上海や杭州のような軟弱地盤のエリアでは、トンネルや駅舎は長年の間に微妙に沈下します。時間をかけて丁寧に施工されていれば、その変位を吸収する遊びを持たせることができますが、工期短縮が優先されれば、コンクリートや防水層の十分な養生期間が取れず、微細な亀裂が生じやすくなります。また、予算配分においても、利用者の目に見える内装(メンツ)には多額の資金が投じられる一方、壁の中に隠れる配管や防水(実質)はコストカットの対象になりがちです。開通式典のテープカットの瞬間には見えなかった欠陥が、3年後、5年後に「復讐」を始めるのです。
婁山関路駅の異臭は、都市ガバナンスのあり方そのものを問うています。人々は地下鉄網の拡大や駅の豪華さには歓声を上げますが、地味な維持管理には関心を払いません。現在の行政システムでも、巨額の予算を投じて新線を建設することは評価されますが、既存の配管を地道に直すことは「後始末」と見なされ、予算も付きにくいのが現状です。
その結果、顔認証改札や自動運転といった世界最先端のハイテクと、漏水をバケツで受け止めるローテクが同居するという、奇妙なコントラストが生まれています。これは、都市がすでに「ストック(蓄積)の時代」に入っているにもかかわらず、管理者の意識がいまだに「フロー(拡大)の時代」に留まっていることを如実に示しています。これからの都市間競争は、どれだけ速く作るかではなく、いかに上手に「老朽化」と付き合っていくかで決まるはずです。
1月7日の汚水は拭き取られ、異臭も換気扇によって消え去ったかもしれません。しかし、デパートと地下鉄の境界にある「制度の隙間」を埋め、見えないインフラの維持管理を正当に評価する仕組みを作らなければ、三度目の事故は必然的に起こります。真に尊敬される都市とは、摩天楼の高さではなく、足元の見えない下水道がいかに健全に機能しているかで決まるものです。毎朝のラッシュアワーを戦う通勤客にとって、壮大なスローガンよりも「靴が汚れないこと」のほうが、遥かに切実で重要な願いなのですから。
(翻訳・吉原木子)
