「射鹿図」の一部(遼・耶律突欲)(パブリック・ドメイン=米国メトロポリタン美術館)

 古代中国の儒家は、六種類の基本能力「六芸(りくげい)」の一つである「弓術」の修得を弟子に求めていました。弓矢は遠距離武器の中で最古の投射武器の一つであり、その発明者が黄帝だと伝えられています。
 春秋戦国時代、弓矢は広範囲にわたり活用されるようになり、最高の武器として位置づけられました。諸侯(しょこう)の紛争の時代においては、弓矢は戦に欠かせない重要な役割を果たしました。また、百発百中で的を射ることができた養由基(よう・ゆうき)のような神わざを持つ者も多く現れました。
 戦国時代、魏の李珥(り・かい)は軍事力を向上させるために、著名な『習射令』を公布し、訴訟における善悪を弓術で裁くことを定めたほどでした。つまり、両者の間のもめごとから裁判で争いになった場合、じかに射的場に行って弓術を競い、その勝者が訴訟に勝つというものです。この法令が発布された後、人々は昼夜を問わず弓の練習に励みました。その後、秦と戦ったとき、魏軍の優れた弓術によって秦軍は大敗しました。弓矢で訴訟事件を裁くことは不公平と言わざるをえませんが、この『習射令』は古代中国における弓矢の重要性を明示しています。
 漢の時代、多くの場所に射芸を教える専門機関が設けられました。また、西漢(前漢)の時代には、毎年秋になると国境の砦(とりで)にいる兵士に弓矢の試験を行い、その結果で賞罰を決めることが定められました。このような試験は「秋射」と呼ばれました。

中国三国時代魏の将軍・張遼の画(パブリック・ドメイン)

 古代中国人は、弓術は「武芸」であると同時に「戦術」でもあると認識していました。古代中国の書物には、弓矢の戦闘の場面が数多く登場し、その濃密な描写が生き生きとして真に迫ります。城攻めであれ、待ち伏せ攻撃であれ、陣地戦であれ、弓矢は機先を制するための鋭利な武器として活用されました。たとえ銃器が世に出た後でも、弓矢は長期間にわたり、手軽で使い勝手が良いという長所を生かし、清王朝末期まで絶えずに戦場で活躍しました。

「射鹿図」(遼・耶律突欲)(パブリック・ドメイン=米国メトロポリタン美術館)

射芸で盛徳(せいとく)を見る

 射芸は、儒家が言う公卿大夫にとって不可欠な「六芸」の一つでもありました。武を尊ぶことから生まれた弓矢は、儒家が民を統治する最も重要な手段と方法となり、儒家は「射礼(じゃらい)」を通じて社会を安定させました。例えば、天子の重要な大祭に用いられる「大射礼」のほか、毎年春と秋に各州で行われ、民に礼儀を教え、敦篤(とんとく)な風俗を成す「郷射礼」、さらには君主があい会して盟約を結ぶ時、宴会で行う「燕射礼」などがありました。
 「郷射礼」を例にとると、「郷飲酒礼」から「番射」、そして三巡試合の射技「旅酬」に至るまで、身分の序列に従い、すべて一巡するまで交代で酒をすすめます。酒をすすめる過程で、堂の上と下、時には全体に音楽が流れ、歌と演奏は決して止むことがありません。そうして心ゆくまで楽しみます。その中では礼儀、謙遜、身分の違い、礼には礼をもって報いるなどの内包をすべて現わしています。
 騎乗の弓術戦はもともと強くて勇ましい力があります。しかし、孔子は、これはあくまでも「主皮の射」であると考えました。古代では、弓矢の的(まと)は動物の皮や布で作られていることがほとんどで、通常は「皮」と呼ばれます。孔子は、このような皮を狩るための武力を重んじる射技は、古来の道(どう)とは離れていると考えています。「皮」を射ることができるかどうかは、主に身体能力の問題であり、重く見る価値はありません。代わりに、尊重すべきことは弓を射る人の徳行と修養です。儒家では「わが身を慎み礼に帰るは仁なり」と言います。武を尊び力任せで射る「主皮の射」と、自分の感情を表に出さず抑制すること、さらに儀式や礼楽を結び合わせてこそ、儒教が唱える「わが身を慎み礼に帰る」という「仁」を現わしています。「射礼」を通じて民衆を教化し、派手な浪費や迷信的な風習を改めることによって、「武」と「仁」を「力」と「徳」に完全に一致させたのです。

射芸と身を修め人格を磨くこと

 儒家では、身を修め、正しい行いをするよう努力し、家庭を整え、国家を治め、天下を平和にすることを奨励しましたが、その中でも一番目の「身を修めること」を最も重要なこととしました。したがって、弓道は単なるスポーツや武道の技能であるばかりでなく、ある意味「修行」でもあり、君子の人格を育成する方法でもありました。
 儒家では、弓道は反省、積み重ね、進取(進んで新しいことに取り組もうとすること)の過程であり、姿態と意志をしっかりコントロールできるか否かに成功の鍵があると考えました。射ても当たらない根本的な原因は自分自身にあるわけですから、天を恨まず人を咎めず、外に目を向けるのではなく、わが身を振り返って、自分の不足を探すべきです。これこそが『礼記(らいき)』の中の「的を射ても当たらなければ、自分より勝る人を責めるわけにはいかない、反省して自分の責任を追及すること①」の真意です。
 孔子は『論語』の中で、「君子は身を修め、徳を重んじることを基本とし、それゆえにむやみに人と争ってはならず、もし優劣を競う必要があるとすれば、それは射芸の勝負です。勝負を競うときは『挨拶して登る』、つまり弓道の勝負を競うために堂に登り、一連の礼儀作法を行って勝負をした後、『降りて飲む』、すなわち堂から降りて勝者、敗者ともに一緒に酒を飲むことです」と述べ、これを「君子の争い」としています。②

神韻公演における弓術

 太陽を射る后羿(ほうげい)、岩を突き破って虎を射る漢の「飛将軍」の李広(り・こう)、三本の矢で天山を平定した唐の名将・薛仁貴(せつ・じんき)の話などなど、歴史上の有名な弓矢の名手の物語はとても多くあります。
 神韻芸術団の舞踊「弓矢の舞」では、古代の弓矢の名手たちのずば抜けた技芸と勇ましく力強い姿、そして古代の男性の男らしい美が披露されます。
 また、神韻芸術団の舞踊劇「嫦娥(じょうが)、月に奔(はし)る」では、后羿はひたすら懸命に弓矢の技能を磨き、最終的に天に浮かぶ九つの太陽を射落とすことに成功し、居住に適した太陽を一つ残しておき、多くの人々を救い助けました。
 そして2018年の神韻芸術団の舞台では、「異次元の弓術」という物語が語られています。弓術の真髄を極めるため、時には格好良さを捨て、仙人の助けも借り、さらには数年の間、異空間にいなければならないようです。鷹のように鋭い目と屈強な手腕を生まれつき持っているわけではない弓術の探究者が、異次元における不思議を身を持って体験してきました。

神韻芸術団の舞踊「弓矢の舞」(神韻動画のスクリーンショット)

 五千年の歴史の流れには、どこを向いても多くの物語と文章があります。伝統ある神伝文化の博大で奥深い内包は、神韻公演の無尽蔵の創作の源になっています。また、ブロードウェイやクラッシック・バレエとは異なり、神韻公演はダンス、舞踊劇、オリジナル音楽から衣装、バックスクリーンに至るまで、毎年一新したプログラムを上演します。皆さま、またとない機会にこの必見のショーをどうかお見逃しなく!

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神韻2024日本公演

注:
①中国語原文:射求正諸己,己正然後發,發而不中,則不怨勝己者,反求諸己而已矣。(『礼記・射義』より)
②中国語原文:君子無所爭,必也射乎!揖讓而升,下而飲,其爭也君子。(『論語・八佾』より)

(翻訳・夜香木)