90年代生まれの若者、林林(リンリン)さん(男性、ここでは本人のプライバシー保護のため仮名を使用)は、「私は、命がけでアメリカに来たけど、一切後悔していない。私は中国共産党の独裁体制に耐えられない。(中国)国内の庶民も非常に抑圧されている」と述べました。

 大紀元の報道によると、林林さんは以前、軍隊で兵士をしていたことがあり、かつては完全な「小粉紅(未熟な民族主義者)」でした。しかし、コロナの流行期間中、中国当局の厳しい統制に耐えかね、2023年3月に命をかけて脱出し、パナマの熱帯雨林やメキシコなどを横断して、約1か月かけてアメリカにたどり着きました。

 彼はインタビューで、1か月にわたる苦しい長旅の中で、特にパナマの熱帯雨林を横断する危険いっぱいの経験が最も印象的であったと語りました。「その時、私はただ1つの思いしかなかった。それは生き残ること。あそこで死ぬわけにはいかないと思った」

コロンビアから密航船での密入国
 林林さんはコロンビアから密航船に乗り、パナマの熱帯雨林に到達しました。

 当時、船に乗っている人はほとんど中国人で、約60〜70人が乗っていたと彼は回想しました。「この船は非常に過積載されている。最大でも30人までしか乗れないはずで、人が多すぎて船が非常に重たかったため、波が押し寄せると海水がどんどん船内に入ってきた」

 船が沖から約20分の距離に近づいたとき、船内の浸水はすでに腰まで上昇し、2人の船員が大きなバケツで水を外に排水していました。他の人々も雨靴を持って、必死に水を外へすくい出していました。陸地に上陸した時には、みんなの身体はすっかりびしょ濡れになっていました。一晩休憩した後、翌朝に出発し、熱帯雨林に入りました。

熱帯雨林の横断「過酷な旅」
 林林さんは、熱帯雨林を横断するルートについて次のように語りました。「熱帯雨林を横断するには十数本のルートが選択肢としてあり、金持ちの人たちは1000ドル(約15万円)を支払えば、馬を半日乗り、山を半日登れば、残りは平坦な道を進むことができまる。しかし、私にはお金がないので、最も一般的な、川を渡り、山を登る399ドル(約6万円)のルートしか選べなかった」

 林林さんの密入国のグループにいた人々は、中国人が圧倒的に多く、少数の南米人もいました。元々の計画では3泊2日で熱帯雨林を抜ける予定でしたが、雨が2日間も降り続いていたため、最終的に4日間かかりました。「傘はまったく役に立たないほどの大雨で、まるで誰かがバケツを持って直接水をかけているようでした」

 雨が一時的に止んだ後、川を渡る準備をしました。最初は水位が膝よりも低いほどでしたが、突然、豪雨が降り注ぎ、わずか1分も経たないうちに水位は腰まで上昇し、水流も急流に変わりました。ガイドさんは手を振ってみんなに急いで戻るよう指示しましたが、中にはどうしても川を渡ろうとする人が数人いて、幸いなことにガイドさんがロープで引っ張って助けたため、流されずに済みました。しかし、その時点で何人かは流されてしまったと後で知ることになりました。

 熱帯雨林の奥山に毒蛇などの危険な動物が潜んでいる可能性があるため、雨が降っていても前進しなければなりませんでした。日が暮れる前に休息地に到達したとき、「一行の体力は限界に達しており、完全に意志力に頼るしかなかった。その時、私は生き残らなければならない。ここで死ぬわけにはいかないと思ったのだ」と林林さんが述べました。

 林林さんの回想によると、山登りと川渡りが交互に続きました。いくつもの山を越えた後、川を渡らなければならず、川を渡った後も再び山を越える必要がありました。山の斜面は非常に急で、80度の角度になっているところもありました。ガイドさんはロープを引いて、人々がそのロープをつかんで斜面を登りました。しかし、ロープがない場所では斜面の木の幹をつかんで登るしかありませんでした。

 熱帯雨林に入ってからわずか2キロほど進んだところで、林林さんはジーンズや重い衣服をすべて捨てました。最終的に彼が持っていたのは、パスポート、乾いた服1枚、薄い毛布1枚、数パックのビスケット、そしてビニール製のテントだけでした。

 熱帯雨林を横断する4日間の間、林林さんはわずか2パックのビスケットしか食べず、途中の川の水しか飲むことができなかったと述べました。

中国共産党幹部は匪賊(ひぞく)だ
 アメリカに到着後、林林さんはメディアのインタビューに応じ、中国共産党政権に対する彼の認識を語りました。

 彼は、中国共産党の独裁者たちはこれまで数年もの間に交代し続けてきましたが、それは服を着替えるようなもので、政権自体は変わっていないと考えています。

 コロナが流行する前、林林さんは小粉紅(未熟な民族主義者)の一員であり、誰かが中国共産党を批判すると論争を挑むこともありました。しかし、コロナの流行期間中、家に閉じ込められ、時間が余ったため、彼はネット規制を回避する方法を学び、外の世界を覗き見るようになりました。コロナの感染拡大中に中国共産党政権が多くの悪事を行ったという事実を知り、そのすべてが彼を完全に覚醒させました。

 「コロナ流行期間中、団地の外部からの支援物質はすべて拒絶され、友達や親戚から送られた物品さえ、団地の入り口で拒絶された。住民は自分の家に閉じ込められ、外出を許可されず、食料品の購入は団地の管理者を通じてのみ行え、すべて値上げされて売られていた。例えば、コーラ1本が外では3元で売られているのに、彼らは4元で売っていた。野菜は時折、届いたときにはすでに腐っていることさえあった。物品の購入には制限があり、お金を持っていても十分な食品を手に入れることができず、お腹を空かせるしかなかった。このような行動は匪賊と何が違うのだろうか?まさに匪賊だ!」。林林さんは、団地の管理者が背後に、強大な中国共産党政権の後ろ盾を得ているからこそ、このように横暴な態度をとるのだと考えています。

 林林さんはまた、中国共産党は人々が信じられないようなこともたくさんしてきたと述べました。「自宅で数ヶ月間閉じ込められていたので、私は非常にストレスが溜まって、イライラしていた。窓から外に向かって2回ほど叫んでストレスを発散したことがあった。すると、すぐに一団の人々が強引に家に入ってきて、社会秩序を乱したという罪で、私を公安局に連行した。『人々はどんな感情的な発言も発することもできず、感情を持ってはいけない。口を開けば犯罪だ』。これがコロナの流行期間中に経験したことだ」

アメリカに到着後の感想
 アメリカに到着した林林さんは、米国と中国の最大の違いは、アメリカが非常に自由であり、人々の間に信頼度や寛容度が高いことだと語りました。「中国では、誰に対しても中国共産党の悪口が言えない。たとえ私がそれを友人に言ったとしても、もしかしたらある日、友達が私を告発し、報奨金として1000元人民元(約2万円)をもらえるかもしれない。私の言うことはすべて真実で、最も真実なのだ!」

 現在ロサンゼルスに在住している林林さんは、生計を立てるためにレストランの裏方のコックなどの厳しい仕事をしていますが、自分の手で自分自身を養っていることに満足と誇りを感じています。「自由な世界の空気を吸えること、本当に素晴らしいことだ」と彼は言いました。

(翻訳・藍彧)