バイデン大統領がインド太平洋経済フレームワークを開始(ホワイトハウス動画のスクリーンショット)

 バイデン米大統領は、24日に日本を出発して米国に戻り、就任後初のアジア歴訪を終えた。バイデン氏は日本滞在中、中国共産党(以下、中共)に矢先を向ける発言が何度もあった。

 バイデン氏は、日米首脳会談で国連改革に賛同し、日本が改革後の安全保障理事会の常任理事国になることへの支持を表明した。これは、第二次世界大戦後に展開された国際政治情勢の激変を意味すると考える論者もいた。

 日本の常任理事国入りへの最大の阻害勢力は、中国とロシアである。 歴史的に見ると、中国もロシアも日本と戦争をしたことがある。米ソ冷戦が勃発して以来、日本はアジア太平洋地域で共産圏を封じ込める米国の重要な盟友である。

 台湾国防大学戦略研究所の沈明室所長は2005年、中共が懸念しているのは、日本が国連常任理事国になれば、東アジアの情勢が大きく変化し、東アジアにおける日本の指導的地位がさらに強固になり、結果として中共が周辺化する危険性があると指摘した。

 江沢民が党首になってから、中共は鄧小平の「爪を隠す(韜光養晦とうこうようかい)」外交路線から脱却し、日米に挑戦しようとしていた。しかし、毎回の挑戦はかえって日米台のさらなる同盟関係を築くことにつながった。

  例えば、1996年の中華民国史上初の民選総統選挙を前に、中共は親米の李登輝総統の再選を武力威嚇で阻止しようとした。同年3月に台湾海峡でミサイル危機を起こし、米中の正面からの軍事衝突を誘発しかけ、東アジア情勢の変化の引き金となった。米国は中共を牽制するため、2隻の空母戦闘群を台湾海峡に急行させた。その直後、クリントン米大統領(当時)と橋本龍太郎首相(当時)は、日米協力の範囲を台湾と台湾海峡に拡大した「新たな日米防衛協力のための指針」に署名した。

 現在の日米台中関係は、1996年当時とよく似ている。もう1つの大きな背景は、露・ウクライナ戦争勃発後、中共とロシアが米国に悪の枢軸とみなされたことだ。米国の中共への扶植は、もともとロシアを抑制するためのものだったが、今ではその必要がなくなったという見方もある。つまり、台湾や日本の常任理事国入りに関するバイデン氏の発言は、アジア太平洋の情勢がすでに、中国を扶植してロシアに対抗することから、日本を扶植して中露に対抗することへと変化していると示している。

 中国共産党第20回全国代表大会を間近に控え、中共の内部闘争はますます激しくなってきている。バイデン氏の一連の動きは中共に挑戦するだけでなく、中共上層部の威信にも影響を与えるだろう。中国のウェイボー(微博)で日本の常任理事国入りの話題がすぐに出てくるのは、中共が民族感情をあおって対立をそらしている可能性を排除できない。

 また、バイデン氏が9人の米議員から要請された台湾への寄り道をしなかったこと、インド太平洋経済構造の第1回会合に台湾が含まれなかったことも注目されている。

 台湾の政治経済学者である呉嘉隆は、米国の戦略は中共を分裂・解体させ、中共内部の各派閥の権力闘争を激化させることだと考えている。呉氏の分析によると、米国は4月27日に可決した前例のない習近平の名を冠した「枢軸法案」である「(米国の対ロシア制裁に対する)習近平の妨害と破壊行為を評価する法案」は、中共内部の反習派にシグナルを送り、習氏を倒さなければ、海外の資産も凍結することを示唆したのだそうだ。バイデン氏は、中共の各派閥が、権力闘争を一時的に脇に置き、団結して共通の敵に対抗することを避けるために、台湾の役割を直接高めず、台湾カードを使うことに特に慎重である。

(翻訳・藍彧)