前漢・劉向『列女伝』挿絵(パブリック・ドメイン)

 「一人で大軍を退けた」――気骨ある婦人の言い伝えをご紹介したいと思います。

 周王朝の時代、魯国への侵攻を計った齊国の大軍がその国境に迫っていました。片手に子供を抱き、もう一人の子供の手を取りながら、あわてて逃げていく女性の姿が、集落の様子を眺めていた将校の目に入ってきました。

 途中、抱いていた子供を手放し、手を取っていた子供を抱き上げ、その女性は山中へと駆け込んでいきました。後を追うように隊を進めていった齊軍は、泣き叫んでいる子供に遭遇します。そこで将校が子供に尋ねました。

将校:「お母さんに置いていかれたのかね?」
子供:「はい。」
将校:「では、誰の子供を連れていったのかね?」
子供:「ぼくは知りません。」

 兵士に弓矢を構えさせ、逃げていく婦人にその場に留まるよう将校は命じました。そして、追いついた将校が彼女に尋ねました。
将校:「手放した子供は誰で、今抱いている子供は誰ですか?」
婦人:「今抱いているのは兄弟の子供――甥で、手放したのは自分の子供です。この状況で同時に二人の子供を守ることは私にはできません。ですから息子を置いていきました」

将校:「なぜ、あなたは息子を置き去りにして、甥を連れて行くのですか?」

婦人:「自分の子供を守ることは私的な愛情です。一方、兄弟の子供を守ることには義があります。個人的な愛を取ったならば、甥の命を捧げ息子を保護したことでしょう。しかし、それでは義に背くことになります」

「公をないがしろにして、誰もが個を先んじたならば、主君も民に同情を示さなくなるでしょう。そうなると家臣の方々の庶民への関心も薄れていき、誰もお互いの世話をしなくなると思います。人々が個に傾倒したならば、互いに配慮することもなくなります。例えてみれば、肋骨は肩を関知することなく、足の裏はつま先を顧みないため、足が擦り切れたとしても靴を履くこともないでしょう⇒きわめて中国的な表現で分かり難い」

「息子を守ったならば、『義』を失うことでしょう。しっかりと甥を守ることで、『義』を貫くことを私は選びました」

 辺境の山間に住む一介の女性が『義』について口にするとは、想いもしていなかった齊の将軍は、これを聞いて大いに感動しました。
「貴族の身である我々が、『大義』が分からないとすることができるだろうか?」と、将校らに向かって将軍は言いました。そして、部隊に時機するよう命じました。

「魯国へと攻め入ることはできません。国境にある集落の婦人ですら、正義を貫き通すことを知っています。魯の大夫はなおさらに義が分かることでしょう。何とぞ撤兵を御命じください」と、将軍は君主に急報しました。

 この報告を聞くなり、齊の君主はいたく感銘を受けました。市井の婦人ですら、『義』を持って先頭に立ち、成し遂げることができる――礼節豊かな魯の国民性を感じ取りました。そして、躊躇することなく撤兵の命を下しました。他事が先、私事は後、公事を優先するという気風には、武力で太刀打ちできないことを悟ったのです。

 迫り来る齊の大軍の足音に恐れおののいていた魯の民衆は数日後、ある婦人の行動により、危機が回避されたことを知ることとなりました。ほどなくして、齊軍撤兵の報を受けた魯の君主は、国境集落の一人の婦人がわが子を捨て、甥を救ったことにより、齊軍を感服させたと聞き及びました。その褒美として百疋の織物を遣わせ、『義の姉上』と称賛したと言われています。

参考資料:『列女伝 節義伝』(前漢の学者、政治家劉向(りゅう きょう、紀元前77年―紀元前6年)によって撰せられた)

(翻訳・襄譲 / 編集・猪瀬)