「牡丹」清・惲 寿平(うん じゅへい、1633-1690)(イメージ:パブリック・ドメイン)

 漢の時代には、敦煌地方の太守になった趙諮(ちょう・し)という人がいました(太守:刺史とも呼ばれ、もともと検査官の官名である、東漢の後に、州と郡の最高の軍事と政治の長官になりました)。その後、病気にかかったので辞職し、ふるさとに帰りました。帰宅した彼は、自ら息子や孫を率いて畑を耕し、母を養うようになりました。

 ある夜、強盗団が彼の家に押入って来ました。趙諮は母親が怯えることを心配し、率先して玄関先で強盗たちに会いに行きました。また、家族に強盗団のために美味しい食事を作るように命じました。食事中、趙諮は手を前にしてお辞儀をしながら、強盗団に言いました。「みなさん、 私には80代の高齢の母がいますが、病気をしています。あとで物を持っていく時には、食べ物と衣類を少し残しておいてください。母を養う分だけで結構です。残りの持ち物については、あえて残して欲しいとは言わないが、母を養えない私のためにも、どうか私の願いを叶えてくれませんか!」

 この言葉を聞いた強盗たちは皆、趙諮の親孝行と心の寛大さに感銘を受け、恥ずかしさのあまり、趙諮にひざまずいて「私たちはなんと恩知らずです! 殿下のお宅にお邪魔して、殿下のような高潔な紳士にお邪魔しました」と礼を言い、趙諮に感謝しました。そう言った後、全力で逃げ出しました。

 趙諮は彼らの後を急いで追いかけ、強盗たちにお金や品物を渡そうとしましたが、もはや追いつくことはできませんでした。

 人が同じ心を持ち、同じ理由を持って、心を動かし、気持ちを感じれば、人と友達になり、気持ちを交流すれば、世の中で悪事を働いた人も善人になれるのではないでしょうか。この強盗団は趙諮の親孝行に感動して、悪行を捨てて恥をかいて去っていったのです。

 出典:『八徳記』

(文・慧淳/翻訳・徳永木里子)