古代馬車(イメージ:Wikimedia Commons / John Hill / CC BY-SA

 「三舎退避(さんしゃたいひ )」は、実力の強い相手に遭遇すると、正面衝突にて甚大な損失を避けるために、自ら譲歩し、人と争わないことのたとえ。

 「舎」は古代中国の軍隊が一日で進む距離のことで、30里のことをいう 、(当時の一里は、405メートル)、 三舎を避けるということは、90里退くことである。戦場でなぜ90里も退くのか?これは古代の約束を守った感動的な物語だ。

 『左伝』によると、春秋時代、晋の献公が驪姫(りき)を寵愛し、驪姫は息子・奚斉を太子にするために元太子を殺し、その後、元太子の弟・重耳を捕らえようとした。重耳が外国に逃げて19年間、礼遇を得られなかった。その後、楚へ行き、楚の成王は諸侯の礼をもって対応した。

 成王は重耳が賢能の人であることを知っていたので、彼の度量を試してみようと「もし今後あなたが晋に帰ることができたら、どのように私に恩返しをしますか?」と重耳に聞いた。「成王には美人、玉帛、珍禽など全部持っています。何か珍しい宝物でお返しできますか?」成王は更に彼を探り、重耳は「もし今後、晋楚両国が交戦するならば、三舎を避け、90里後に退きます。それでも許されないなら、またあなたと交戦します。」と答えた。

 その後、重耳は再び晋の国に帰って基に登って、歴史上で有名な春秋五覇の一人の晋の文公になった。

 僖公28年(紀元前632年)、楚晋の軍隊は戦場で出会った。文公は約束を守って、先に軍隊を90里退いた。しかし、楚軍の主将・子玉は隙に乗じて追いつき、両軍は城濮で戦い、これは春秋史上に有名な城濮の戦いである。その結果、楚師が敗れた、文公は城濮の戦いで、名を馳せて、覇業の基礎を定めた。まことに、信のある者が立てられる。晋の文公は三舎を避ける約束を果たし、恥じらず戦いに勝った。

(文・允嘉若/翻訳・柳生和樹)