9月下旬、中国の高校で生徒による抗議が相次ぎました。9月23日、四川省安岳県の安岳中学では、中秋節の休みが当日の昼までしか認められなかったことに生徒が反発し、集団で抗議しました。その後、学校側は対応を見直し、翌日には休みを3日間に戻しました。さらに9月24日には、山西省運城市の康傑中学で、校長による厳しい管理に不満を抱いた生徒たちが、「人権は闘って勝ち取るもの」などと書かれた紙を校内に貼り出しました。
中国国内の集団抗議を長年追っている海外在住のブロガーが公開した動画によると、23日夜、安岳中学では、多くの生徒が寮の窓から一斉に叫び声を上げ、学校への不満をぶつけました。翌日には、食堂を壊そうという計画まで出ていたとされています。騒ぎの最中には、生徒代表の1人が校門の外に飛び出して路上で演説を始め、周囲からは何度も歓声が上がりました。
生徒たちの動きを知った学校側は24日、譲歩し、中秋節の休みを3日間に戻しました。これを受け、安岳中学の生徒たちはSNSに喜びの声を投稿しています。投稿では、唐という名字の生徒がプレッシャーをはねのけて抗議を主導し、ついに要求を実現させたとされています。ある生徒は「あいつがいなかったら、中秋節の休みは当日の昼までで終わっていた。一揆が成功して、3連休になった」と書き込み、別の生徒も「これまでは、全く変わらなかった。うちの学校の歴史に残る出来事だ。」とつづりました。
同じ24日、康傑中学でも生徒による抗議がありました。校長の閆宗民氏による厳しい管理に反発した生徒たちは、「閆宗民は生徒を抑圧している」「人権は闘って勝ち取るもの」などと書かれた紙を校内の各所に貼り出し、不満を訴えました。
2つの出来事には、ネット上で多くの応援の声が寄せられました。「この子たちはすごく勇気がある。まっすぐな怒りで、息苦しい学校の空気を変えた。学校の中で自分たちの権利を訴えるのは、とても大変なことだ」「憲法で認められている基本的な権利を、実際に行動して示している」「若者らしい強い意志を感じる。骨がある。」「勇者たち、頑張ってほしい」
実は、こうした出来事は今年に入ってから各地で見られています。中国では、学校の厳しい締め付けに対する生徒たちの反発が強まり、似たような集団抗議が各地で相次いでいます。
5月16日午前、山東省の汶上県第一中学で、2000人を超える生徒が集団で抗議しました。生徒のSNS投稿によると、学校側は前日の15日午後、翌16日の下校時刻を通常の15時50分から17時50分へ遅らせると知らせました。これに強く反発した生徒たちは、その日の夜のうちに翌日の一揆について話し合ったといいます。16日午前9時50分ごろになると、校舎3階の生徒たちが先に一斉に教室を飛び出し、「帰らせろ」と叫びながら校内の広場へ向かいました。1年生と2年生もすぐに後に続き、参加した生徒はたちまち2000人を超えました。ある生徒が、以前に歴史劇で使われた横断幕を掲げると、広場は大きな歓声に包まれました。そこには、1919年の五四運動で掲げられた「外に主権を争い、内に国賊を除く」というスローガンが書かれていました。さらに、生徒の間では『汶上一中を討つ檄文』と題する文章も出回りました。そこには、「多くの生徒が心を一つにして憤る。必ずや初心を貫き、道理をもって争い、理不尽な締め付けには決して屈しない」と記されていました。抗議はおよそ45分続きましたが、最終的に学校側が譲歩し、下校時刻を元の15時50分に戻すと発表しました。それを聞いた生徒たちは、ようやく教室へ戻っていきました。
その10日後には、広西チワン族自治区でも学生たちが一斉に声を上げました。ネット上に出回った動画によると、5月26日夜から27日未明にかけて、広西体育高等専科学校と桂林航天工業学院の学生寮で長時間の停電が起きました。どちらの学校でも、その夜の気温は30度前後に達しており、蒸し暑さに耐えかねた多くの学生が、夜通し歌を歌って不満を表しました。2校の学生がそろって歌っていたのは、香港のロックバンドBeyondの『光輝歳月』です。この曲は、自由を失わず、自分たちの力で未来を変えられると信じる思いを歌った、往年の名曲です。
5月29日夜、湖北省の陽新県実験高校でも、学校の厳しい管理に抗議する集団行動が起きました。ネット上に出回った動画では、生徒たちが校舎の窓際で『自由花』を合唱し、多くの生徒が自分たちの思いを書いた紙を上の階から投げ落としています。紙で埋め尽くされた下の芝生は、遠くから見ると雪が積もったようにも見えました。写真に写っていた紙の1枚には、「不自由、毋寧死」と6文字が大きく書かれていました。自由がないなら死を選ぶほうがましだという、強い思いを示す言葉です。
下校時刻や寮の停電、祝日の休みのように、毎日の暮らしに直結するルールは、生徒たちの怒りを招きやすいものです。そして抗議の結果、多くの学校側が決定を撤回させています。
(翻訳・吉原木子)
