37年前の天安門事件は、今なお中国現代史における最も深い傷跡として残っています。現在、「六四」の記念日まであと1ヶ月に迫る中、中国本土のインターネット上では、忘却に抗うような動きが水面下で広がり始めています。最近、深夜になると、SNS上に「天安門」や「戦車」といった要素を含む動画や画像が大量に出現し、それに同調する多くのネットユーザーが検閲の壁に挑むような書き込みを行っており、外部からも広く注目を集めています。

 海外の有名SNSアカウントが収集した情報によると、最近、深夜の時間帯になると、アルゴリズムによっておすすめ表示された天安門や戦車の動画のコメント欄に、中国本土のユーザーが事件に関連する隠語を含んだ画像や抗議の言葉を頻繁に投稿しています。情報封鎖を突破しようとするこのような暗黙の連帯は、事情を知らない一部のユーザーを「なぜ戦車の動画ばかり流れてくるのか」と驚かせるほどです。

 深夜に繰り広げられるこのようなデジタル空間での攻防において、ネットユーザーたちは極めて高い知恵と粘り強さを見せています。厳格な検閲システムに直面し、彼らは瞬時に削除される言葉を使うのではなく、視覚的な暗喩を用いています。戦車の隊列を直接的に表現した画像から、AIで生成されたと思われる、ビルから天安門前を進む戦車の列を見下ろす人々の画像まで様々です。また、古い新聞を手のひらで覆い隠し、赤い「天安門」の3文字だけを目立たせる工夫を凝らす人もいれば、当時の装甲車による残酷な弾圧を暗に示す画像、さらには当時の最高指導者であった鄧小平の肖像画を投稿する人もいます。それだけでなく、コメント欄には現指導部の退陣を求める縦書きの文字や哀悼の意を表す画像も入り混じり、様々な形式の投稿が絶え間なく続いています。

 瞬く間に消え去りながらも続くこれらの深夜の書き込みは、歴史への追悼であると同時に、世代を超えた記憶の継承でもあります。「1ヶ月前からの準備」「もうすぐその日がやって来る」といったカウントダウンのような切迫感は、タブーとされる話題に対する人々の反発心理を反映していると言えるでしょう。特に考えさせられるのは、書き込みに見られる世代間の継承です。「私の伯父は参加していた。こっちから聞かないと、上の世代は若者には語りたがらない」という言葉は、中国社会の現実の一面を浮き彫りにしています。長期にわたる政治的重圧の下で、上の世代の当事者たちは恐怖から、あるいは次世代を守るために沈黙を選ぶことが少なくありません。しかし、インターネットの隙間は若い世代に真実を垣間見る機会を与え、「これで皆が知ることになった」といった声も上がっています。

 実際、この歴史を消し去るために構築された巨大な検閲機構は、隠そうとすればするほど逆に注目を集めてしまうという、自己矛盾に陥っているようにも見えます。その一例が、国営メディアが以前発表したあるイベントのメインロゴです。4頭の馬が一列に並んだそのデザインは、四角い構図で左上部に突起があり、即座に無数のネットユーザーに1989年のあの有名な「戦車に立ち向かう男」の写真を連想させました。特定の形状や日付、さらには動物までも検閲の対象とすることは、結果的に、その禁じられた記憶を人々に絶えず思い起こさせているのと同じだと言えるでしょう。

 今年のネットユーザーによるこうした現象について、海外の観察者たちは、当局の主張が少しずつ破綻しつつあることを示していると指摘しています。毎年6月初旬になると、中国本土のインターネットは厳戒態勢に入ります。SNSプラットフォームではアイコンやニックネームの変更ができなくなり、ロウソクなどのスタンプは削除され、現実社会では異見を持つ人々に対する厳密な監視や事前の拘束まで行われるとされています。このような過度とも言える情報統制は、「禁止されればされるほど、一般の人々はさらに知ろうとする」というネットユーザーの言葉を裏付けているようです。同時に、国内の不満をそらすために用いられてきた「外国勢力の介入」というシナリオも、大衆によって解体されつつあります。ますます多くの人々が「真の外部勢力とは何か」について率直に語り始めており、このような認識の転換は、ナショナリズムの感情を利用して内部の歴史的トラウマを隠蔽する手法が、もはや万全ではないことを示唆しています。

 歴史の真実を公式発表だけで完全に封じ込めることは不可能です。1989年6月3日夜から4日未明にかけて、重武装の部隊が動員され、天安門広場周辺で平和的な請願を行っていた学生や市民が武力で鎮圧されました。事後、当時の報道官は「天安門広場では一人も死んでいない」と発言しましたが、その後、国内外の世論の強い圧力を受け、当局は数百人の死亡を認めました。しかし、近年機密解除されたイギリスの外交公電やアメリカの機密文書によれば、あの鎮圧による民間人の死傷者数は公表数字をはるかに上回り、一部の評価では最大で1万人に達するとも言われています。

 今日に至るまで、当時の出来事に関する詳細な情報の公開は進んでおらず、経済発展によって人々の政治的な要求や歴史の真実を求める声が薄まることが期待されてきた側面があります。しかし、30年以上の時を経てもなお続く深夜の静かな動きは、強制的な忘却の脆さを証明しているようです。深夜の暗闇の中で画面の光を灯し、隠語を使って発信し続ける人々がいる限り、その記憶が完全に消え去ることはないでしょう。今年の6月にどのような動きが見られるのかは予測できませんが、現実の制約の中にあっても、歴史の残響は確実に響き続けていると言えそうです。

(翻訳・吉原木子)