旧正月が明けた後、多くの若者が北京に戻った一方で、北京を離れることを選ぶ人も少なくありません。
ある動画では、若い女性が「旧正月が終わったばかりなのに、自分はもう『北京を離れる第一陣』になった」と語りました。長年にわたる高負荷の働き方のせいで、腰椎椎間板ヘルニアやホルモンの乱れを抱えるようになった一方、収入はほとんど増えなかったといいます。「10年後の貯金がやっと約250万円(10万元)では、このまま残る意味があるのかと思ってしまう」と話していました。
また、「北京で10年暮らし、最後は離れることになった」と体験を記録している人もいました。「北京で結婚し、子どもも生まれましたが、それでもこの街に居場所があるとは感じられなかった。今は夫婦そろって失業中で、それでも家賃は毎月約12万5000円(5400元)に上りる。安定した収入がない中、このまま暮らし続けるのは難しい状況だ」。こうした動画は今もSNS上に次々と投稿されており、都市の人口移動に変化が起き始めている現実を映し出しています。
こうした変化は、公式データにもはっきり表れています。北京市の統計部門が公表したデータによると、2024年末時点で、北京に住む20歳から34歳までの若年人口は454万2000人でした。前年より34万5000人減っており、2020年と比べると121万6000人も減少しています。2025年の詳しい数字はまだ公表されていませんが、旧正月明けに北京へ戻る人の流れの変化や、ネット上にあふれる当事者の声を見るかぎり、「それでも北京に戻るべきなのか」という問いは、いまや一世代全体の悩みになりつつあります。「90年代生まれ」の周林さんは、「人が減ったように感じる。今は社会全体が迷いの中にある」と語っています。彼自身もこの数年で失業や減給を経験し、周囲でも北京に戻らない選択をした人が少なくないといいます。「特に90年代生まれや2000年代生まれの中には、そのまま実家で何もしないまま過ごしている人もいる」と話していました。
かつての北京が、チャンスと上昇の象徴だったとするなら、今の現実の労働生活こそが、多くの人をこの街から遠ざけている直接の理由だといえます。
複数の動画には、北京で働く人たちの日常が映されています。深夜の地下鉄の車内では、乗客たちが座席にもたれながらうとうとし、顔には隠しきれない疲れがにじんでいます。
仕事が終わった後の生活にも、社交や娯楽の余裕はありません。あるブロガーは動画の中で、「集まりもなければ、騒ぐこともない。あるのは終わりの見えない満員電車と、狭い賃貸の部屋だけだ」と語っていました。それでも踏みとどまる理由は、ただ「頑張り続けるしかない」という一点だけだといいます。
収入と支出のバランスが崩れていることこそが、こうした疲れの根本にあります。月収約23万円(1万元)の会社員である林明さんは、北京ではこの程度の収入は決して高くなく、少しでも稼ぎを増やすため、仕事が終わったあとに配達のアルバイトもしており、夜10時まで働くことも珍しくありません。それでも1か月の副収入はせいぜい約2万円から4万円(1000〜2000元)ほどで、「へとへとになるまで働いても、増えるのはせいぜいそれくらいだ」とこぼしていました。
また、北京に来たばかりで仕事を探していたある中年男性も、動画の中で自分の体験を語っています。「わずか1週間の間に何度も仲介業者に回され、最終的に紹介されたのは時間給の仕事だけだった。食事や住まい付きの職も見つからず、生活の基盤すらなかなか築けないままだ。来世があるなら、もう絶対に北京には来ない」と話していました。
その一方で、家庭や暮らしの重圧も少しずつ積み重なっています。2024年に撮影されたある動画では、北京で小さな店を営む夫婦の姿が映されていました。実家に帰るたびに、子どもは母親が離れるのを嫌がり、こうした長期にわたる離別が家庭関係に目に見えない負担をもたらしていることがうかがえます。
また、別の女性労働者は、「北京には確かに資源も多く、残ればチャンスもたくさんある。しかし、この5年間の苦しさは自分にしか分からない。多くの人にとって、チャンスがあることは見えているのに、自分には届かない。その状態が、かつて抱いていた熱意を少しずつ削り取っているのだ」と語っていました。
こうした状況の中で、これからの生き方をあらためて考え直す若者が増えています。故郷に戻り、起業に挑戦したり、もっと安定した暮らしを探したりする人も出てきました。
ある35歳の出稼ぎ労働者は、動画の中で思い切って仕事を辞めると宣言しています。「地元に帰って起業して、どこまでやれるかは分からない。でも、やってみなければ結果も分からない」と話していました。
また、31歳の別の人は、7年間の北京暮らしに区切りをつけて故郷へ戻りました。「あの頃は夢を抱いて北京に来たが、結局は何も成し遂げられなかった。それに両親も年老いてきて、そばにいて世話をする必要がある」と語っていました。
さらに、もっと穏やかな言い方をする人もいます。「北京が多くの機会を与えてくれたことには感謝している。それでも人生の段階はすでに変わり、これからは別の生き方を選びたい」と語りました。
また、南下して活路を求める人もいます。ある北京出身の女性は、「ここ数年で北京を離れ、南部の大都市へ移る人がかなり増えた。向こうでも十分やっていけるし、暮らしやすい」と語りました。彼女の見方では、人それぞれに何を重視するかは違いますが、最終的にいちばん大事なのは「暮らしが本当に良くなるかどうか」だといいます。注目すべきなのは、こうした移動が地方出身者だけの話ではないことです。北京生まれの若者の中にも、あえてこの街を離れる人が出ています。ある地元住民は、たとえ北京戸籍を持っていても、ほかの都市のほうが仕事の可能性や実際の収入の面で魅力があり、「肩書きや身分より、現実のほうが大事だ」と語っていました。
かつては「あらゆる手を尽くしてでも北京に入りたい」と考えられていたのに、今では「それでも残るべきなのか」が問われるようになりました。この意識の変化の背景には、経済環境と雇用構造の変化があります。カナダ在住の時事評論家である文昭(ぶん・しょう)氏は分析の中で、北京には権力と資源を中心に回る「帝都経済圏」が形づくられていると指摘しています。中央政府や中央企業の本社に加え、多くの民間企業や外資系企業の本部も集まり、およそ400万人規模の層ができあがっているというのです。この層こそが、北京の高級サービス業を支える中核であり、彼らの収入と消費が、不動産、医療、教育といった分野の成長を直接押し上げてきました。
しかし、景気後退の圧力の下で、この層もまた無傷ではいられなくなっています。文昭氏は、この400万人の一部がすでに減給や失業、あるいはやむを得ない転居に直面していると指摘しています。その人たちを支えてきた大量の中低所得層もまた、仕事の機会そのものが減っていく厳しい状況に置かれているといいます。彼の見方では、北京の雇用構造はいまはっきりと分化しつつあります。低賃金の仕事は早くから整理され、高所得の仕事はハードルが極めて高いうえに数も限られています。その一方で、中間層向けの仕事は今も縮小し続けており、「これこそが、多くの人が涙をのむ現実だ」と語っています。
今の若者にとって、北京はもはやただ一つの「夢の場所」ではありません。ここに残るべきかどうかを、そのたびにコストと見返りの両面から冷静に計算しなければならない都市へと変わりつつあるのです。
(翻訳・藍彧)
