宋・郭熙『寒林蜀道』の一部(パブリック・ドメイン)

 中国の風景画は、北宋初期から北方派と江南派に分かれ始まりました。北方風景画派は、自然風景を描写し、壮大なパノラマ風景を表現するのが得意でした。なかでも郭熙(かく き)は宋王朝の有名な画家であり、北部の風景画派の巨匠でもあります。

宋・郭熙『樹色平遠図』(メトロポリタン芸術館 米国ニューヨーク市 パブリック・ドメイン)

 郭熙(字は淳夫)は河南省温県(現在の河南省孟県)で生まれ、「郭河陽」と呼ばれていました。少年時代から道教に集中し、「吐納の方」を学び、行脚していました。郭熙は若い頃に非常に才能があり、彼の家族に絵を描くのが得意な人はいませんでしたが、天賦の才及びその後の人生経験が彼を成功に導いたのかもしれません。

 宋王朝熙寧の時、郭熙は御画院で習うために、翰林待詔の職位にいました。彼の絵画は宋神宗に高く評価され、宮殿の壁には郭熙の作品がたくさん掛けられたと言われています。『神宗が郭熙の筆を好む』という話もあります。そのほか、宮廷の他の部門も郭熙の絵を飾っていました。蘇軾の詩の中にある「玉堂昼掩春日閑、中有郭熙画春山」は、おそらく当時、学士院玉堂の塀に描かれていた郭熙の作品の『春江曉景』を指すと言われております。宋神宗の時代は、郭熙の絵画創作の最高峰でした。

宋・郭熙『寒林蜀道』の一部(パブリック・ドメイン)

 郭熙は風景画が得意で、初期にはほとんどの絵が繊細でしたが、後に李成を勉強し、彼の絵を模写しました。その後、李成の画法を熟知するようになり、李成の画法を融合した郭熙独自の風格が誕生しました。彼は、山を描くことは「春山淡冶にして笑うが如く、夏山は蒼翠にして滴るが如し。秋の山は明浄にして粧ふが如く、冬山は惨淡として眠るが如し」と信じています。彼は、画家が現実から逸脱し空想的な風景を描くことに同意せず、実際の山と水を深く観察、体験すべきだと主張しました。そのため、郭西の絵画は鮮やかで自然的で、主題も幅広いものでした。

 郭熙の風景画のほとんどの枝は垂れ下がっており、ワシの爪のように斜め下方に伸びています。山の形は独特であり、多くの場合、淡いインクと柔軟な丸いペンを用いて、側峰や散在する雲などを描きました。彼が描いた寒林は幽深で雅趣があります。松の大木があり、雲と煙がからみあい穏やかに立ち昇るのが見えます。連なった峰が見えつつ隠れつつします。その構図と筆法は独特なものでした。

宋・郭熙『寒林蜀道』の一部(パブリック・ドメイン)
宋・郭熙『早春図』1072年作成(國立故宮博物院・台北、パブリック・ドメイン)

 郭熙は絵巻だけでなく壁画も得意で、高いホールの壁に巨大な壁画を作ることができるので、神宗に大変喜ばれ、ホールの壁に絵を描くように命じられました。

 画家として、郭熙は筆と顔料の技術や風景画の遠近法に多くの革新をもたらすだけでなく、経験を要約して「山水訓」、「画意」、「画訣」、「画題」という4つの価値ある絵画理論書を書き残しました。それらは息子の郭思によって編集および補足され、「林泉高致」と題されました。

宋・郭熙『滕王閣』(パブリック・ドメイン)

(翻訳・灯火/篤修)