安徽省滁州市(じょしゅう-し)にある琅琊寺の無梁殿(Wikimedia Commons/Brookqi CC BY-SA 3.0

天下の奇才-驚異の記憶力

 中国宋王朝の名臣、張方平(字安道、1007年―1091年)は、非凡な逸材として知られている。小さい頃は貧しいゆえ、書籍を買うことができず、よく他人に書籍を借りては読書していた。そして、拝借した書籍はどれも10日足らずで返しては、「全て細かく読ませて頂きました。」と相手に告げていたという。

 天賦の記憶力の持ち主である彼は、一読すると忘れることなく、読み終えた本はしっかりと記憶するため、二度と手に取ることはなかった。また、事前に構成を草案せず、その場で語り出しても立派な文章であったという。

偶然前世を思い出し、二生経の転写を完成

 張方平が滁州知州として在任中、「二生経」という奇聞(珍しいうわさ)があった。

 慶歴八年(1048年)春のある日、張方平は滁州琅琊寺(ちょしゅうろうやじ)にてお参りの際に、僧侶たちの空き部屋で、梁に置かれたある経函を目にした。脚立を使ってのぼり、小箱を開けてみると、そこには「楞迦経(りょうがきょう)」の半分が書き下ろされた巻物が保管されていた。不思議なことにそれを手に取ると、遠い昔に愛用したことのある、まるで自分の物であるかのような懐かしさに包まれた。

 「楞迦経」を読んでいるうちに、前世での色々な出来事が徐々に蘇ってきた。彼は前世でこのお寺の僧侶として生きたが、経書の転写を完結できぬままこの世を去り、巻物は正に当時の書き残しだった。その後、張方平は未完成の経書を大事に持ち帰り、遂に転写を完成させた。よく見ると、二世に渡り完成された経書の筆体は、全て一致していることが分かる。彼の悲喜こもごもの心情は、他人には決して味わうことはできない。当時、人々は張方平が完成させたこの経書を「二生経」と呼んでいた。

 七十九歳の年に、張方平はこの「二生経」を蘇軾に手渡し、後世に引き継がれるよう、三十万銭を費やして、刊行を依頼したという。

 晩年の張方平は蘇軾の父である蘇洵とも交流が深く、蘇軾と弟の蘇轍は張方平に弟子入りし、指導を受けたとも伝えられている。

(文・宋宝藍/翻訳・梁一心)