顔回( がん かい、紀元前五二一年― 紀元前四八一年)

 顔回(がん かい)、字は子淵(しえん)、ゆえに顔子、顔淵とも呼ばれた。春秋時代末期の魯の思想家だ。彼は孔子の七十二賢者の頭を務める孔子の最も優秀な弟子だった。彼の家庭は貧しかったが、穏やかな生活を送っていた。また、彼は知的で良く学び行いも優れていたため、いつも孔子から褒められ非常に信頼されていた。惜しくも彼は40歳で亡くなり、後世では「復聖」の尊称で呼ばれた。

 ある時、陳国と蔡国の中間で孔子達の食糧が尽きてしまった。孔子達は、七日間も食べる物が無く、体力も衰え、昼間も横になって休むしかなかった。そんな時、顔回は何処からか米を貰って来て、すぐにご飯を炊き始めた。

 しばらくしてご飯が蒸れた時、孔子は顔回が鍋のご飯を手でつかんで食べるところを見た。その後、ご飯が出来たので、顔回は孔子を食事に招いた。孔子はさっきのことを見てないふりをして起き上がり、顔回に「私はさっき祖先の夢を見ました。このご飯はとても清潔なので、まず祖先にお供えしてから食べよう」と言った。人が食べたご飯をお供えするのは、祖先に対し不敬になるのだ。

 顔回は慌てて、「それはだめです!さっきご飯を炊いたとき、木炭の灰が鍋に落ちて、ご飯が汚れて、捨てるのは良くないので、つかんで食べました。」と言った。

 顔回の言葉を聞いた孔子は嘆息して弟子たちに話した。「人は自分で見たものを信じるべきだが、目で見えても信用できるとは限らない。人は心に頼るが、自分の心があてにならない時もある。弟子たちよ、人を理解するのは簡単ではないことを忘れてはいけない!」

 「顔回の盗み食い」この事で、孔子は危うく自分の優れた門下生を誤解するところだった。この後、孔子は「目で見た事が真実とは限らない」という道理を悟った。孔聖人でさえ誤って、自分が最も信頼している弟子を疑ってしまったのだから、ましてや普通の私達ではどうだろう。幸いにも、孔子は知恵を働かせて簡単に真実を知り、誤解を解くことができた。

孔子の像(パブリック・ドメイン)

 人はしばしば自分が見たものだけを信じるが、目に見えないものはあまりにも多い。我々は外見だけで判断するのではなく,様々な角度から分別を認識しなければならない。自分が見た「見た目の印象」だけで恨みを抱く人は何人もいるが、死ぬまで自分の初めの認識が間違いだったことに気付かない。

 私達が人を評価する時、まず自分がその人のことをよく知っているかどうか、そして相手の本当の状況について考えてみよう。私達が一つのことに疑いを持った時、外見だけで判断したり、人の話を受け売りしたりするのではなく、すぐに真相を知る方法を見つけるべきだ。そうすれば、人生の矛盾を減らし、悲劇や後悔を避けることができる。

(文・軽舟/翻訳・宛 漣音)