頭上の空が青くても、太陽がある方向の空は灰色に色付けられてしまう。(イメージ / Pixabay CC0 1.0)

 「今日は天気がいい。空も真っ青だ!」

 昼休み、私は外に出て青空を見上げた。背後にある太陽は暖かく、目に映る空すべてが吸い込まれそうな青色だ。この開放感と明快さは、まるで半日分の疲労が蓄積された頭の中が入れ替わるみたいだ。「太陽を背にして青空を眺める」これは今の私が一番好きな習慣だ。

 青空が嫌いな人もいなければ、太陽の光が嫌いな人もいない。人は本能的に好きなものを所有したがり、手に入れてやっと満足するものだ。以前の私もオフィスで長く多忙な時間を過ごした後、屋外に出ては本能的に太陽に向かって立っていた。まるで太陽に向かって立つことだけが太陽の光への切望を満たすかのように・・・

 だがある時、私は太陽に向かって立つことには問題がある事に気付いた。頭上の空が青くても、太陽がある方向の空は灰色に色付けられてしまう。そして太陽のある方を避けて向きを変えると、空が私の好きな純粋な青色に変わるのだ。したがって、澄み渡った青空を見たければ、太陽に背を向けることになる。

 こうして、私は太陽の方を向く習慣を改め、休憩時、外に出るたび必ず太陽に背を向けて空を眺めるようになった。太陽に背を向けると太陽を所有した感覚こそないが、その光は変わらず私を照らしている。所有こそしていないが、つれ添っている感覚。そして更に重要なのは、太陽に背を向ければ澄み渡った青空が眺められることだ。

 生きて行く中で、私達は誰にでも、好きなもの、欲しいものがある。だが、あまりにも好きすぎて、執着心を消せなくなってしまうと、結果的に自分自身が疲れるだけだ。私が太陽に背を向けることで青く澄み渡った空を発見したように、あなたも振り返ってみる事ができたら、もう少し落ち着いた気持ちで、もっと素晴らしい何かを見つけることができるだろう。

(文・青松/翻訳・謝 如初)