紀元前260年の戦国七雄(イメージ:Philg88 / Wikimedia Commons / CC BY 3.0

 鄒忌(すうき)が美貌に対する執着を反省し、斉国を強国へと促した功績は、美談として今に語り継がれている。

 古代中国の戦国時代(紀元前5世紀―紀元前221年)、斉国の斉威王には鄒忌 (「騶忌」もしくは「騶子」とも称される) という相国(しょうこく:斉国に於ける廷臣の最高職)が居た。自身の容姿に強い執着を抱えていた鄒忌は、ある美貌比べによる心得が、国君への献策と国力強化へ繋がり、後世までその名を残すこととなった。

 鄒忌はすらりと伸びやかな体型で、身長は八尺あったという。戦国時代の一尺が現代の七寸に相当することから、彼の身長は実に百八十センチ以上であることが分かる。尚且、彼の容姿もまた端麗で雅やかであった。

 ある日の朝、鄒忌は外出の支度を済ませ、鏡を見てふと振り向いて妻にこう聞いた。「僕と城北地域の徐公を比べると、どちらが美しいと思うか。」夫への愛しさに満ち溢れる妻は、「エレガントで威風堂々なあなたに、彼は敵(かな)うはずがありません。」と褒め称えた。

 半信半疑の鄒忌は、暫くして侍女にも同じ質問をしてみた。侍女も躊躇わずに「ご主人様には到底敵いません。」と答えた。

 翌日、鄒忌は訪れてきた客にも同じ質問をぶつけてみた。すると、客も同じく「貴方様の美しさに敵うなど、とんでもございません。」と答えたのだ。

 その翌日、ついに噂の徐公が訪れてきた。彼をじっくり見つめた鄒忌は、自分は徐公の美貌に到底敵わないと思い知ることになった。鏡に映る自分の容貌を凝視すればするほど、実に見劣りがしてきたのだ。

 その日の夜、眠れなくなり考え込んでしまった鄒忌は、「妻は僕を愛するがゆえに、侍女は僕を恐れるがゆえに、そして客は僕に頼み事があるゆえに、僕のことを美しいと言ってくれたのではないか。」とようやく気がついた。

(つづく)

(翻訳・梁一心)