一、聖徳太子の十七条憲法

 推古12(604)年、聖徳太子は「十七条憲法」を制定しました。

 十七条憲法:

 一曰、以和爲貴、無忤爲宗。
 二曰、篤敬三寶。
 三曰、承詔必謹。君則天之。臣則地之。
 …
 十二曰、國司國造、勿収斂百姓。
 十七曰、夫事不可獨斷。

 『日本書記』に、「夏四月 丙寅朔戊辰 皇太子親肇作憲法十七條」と、太子自らが十七条憲法を起草したことが述べられています。
憲法十七条は四六文という四文字と六文字を基本とする中国古代の華麗な文章形式を取り、貴族や官僚等政治に関わる人々に道徳や心がけを説き、儒教を中心とした、仏教や法家の要素も織り交ぜられています。

 「十七条憲法」は憲法という名を冠してはいますが、その性格は近代憲法とは異なり、道徳規範と行動原理に近い要素を持つものです。
1400年以上も前に、聖徳太子の示した人づくり、国づくりの訓戒は、今の時代にそれを読んでも、心に迫るものを感じ、特に政治に関わる者に求められる道徳水準の高さ、人間の生き方としての知恵の豊かさに驚きます。

二、憲法の語源

 「憲法」という言葉は2500年以上前の中国・春秋時代に「春秋」の注釈書「春秋左氏伝」補遺「国語」の、「賞善罰姦、國之憲法也」の一文が最初の使用例だと考えられています。他には、中国の古書である『尚書』や『史記』等にも登場しており、いずれも法規や法典、法令の意味として使われています。

 中国の最古の部首別漢字字典・『説文解字』では、「憲」という文字が、会意形声で、害の上の部分と、目と、心から成ると解説しています。有害物を人々が目で見て、心で感じて判断するという道徳的な意味合いが感じられます。

 穂積陳重の『続法窓夜話』においても、「憲法」は治者の号令であり、「憲」も「法」も同意語であり、「法律」という 意味の名詞であると説明しています。

 近代憲法の概念の導入近代憲法は国家権力や権限、統治の根本規範となる基本原理、原則を定める法規範です。現代日本語における「憲法」は、ドイツ語の「Verfassung」または「Konstitution」、英語やフランス語の「Constitution」に対する訳語となります。

 本来、日本には、ドイツ語の「Verfassung」、英語やフランス語の「Constitution」という概念がありませんでした。『法窓夜話』によれば、1873年(明治6年)に、フランス語の「Constitution」を、法学者の箕作麟祥が初めて「憲法」に訳したそうです。

 明治当初は、「政体」、「国法」、「国体」、「朝綱」など、様々な訳語が使用されていましたが、時代の経過とともに、「憲法」が定着してきました。日本はアジアで最初にConstitutionを翻訳し、そして、「憲法」という言葉を近代憲法として正式に使用しました。

 一方、私達が今理解している憲法或いは憲政という概念は、中国の歴史上に存在していませんでしたが、1908年8月27日、日本の明治憲法の影響を受け、清朝政府は中国初となる憲法・「欽定憲法大綱」を作成しました。

 「憲法」という古い言葉に、時代の変化と共に、新たな内容が盛り込まれました。

(文・一心)