清・王致誠(ジャン=ドニ・アティレ)、郎世寧(カスティリオーネ)らによる「萬樹園賜宴図」。清の第6代皇帝・乾隆帝が避暑山荘の萬樹園で少数民族の首長を招き宴会をしている場面。(パブリック・ドメイン)

 河北省承徳市にある承徳避暑山荘は現存する最大の古典皇室庭園であり、中国古典皇室庭園の傑作と言われている。その敷地面積は約500万平方キロメートルに上り、北京の頤和園の倍もある。そして長さ10キロメートルの塀が周りを囲んでいる。

 承徳避暑山荘は清王朝の離宮であり、熱河行宮とも呼ばれている。清王朝康煕四十二(1703)年から建造が始まり、乾隆五十五(1790)年に完成した。承徳市の半分を占めるこの皇室庭園には、宮殿や楼閣など100軒以上の建物があり、古代建築芸術と庭園芸術の集大成として、奥深い文化的内包と壮大なスケールを有している。

清の第4代皇帝・康熙帝による避暑山荘の扁額(へんがく)(頤園新居 / Wikimedia Commons CC BY-SA 2.0

 承徳避暑山荘を建築するきっかけとなったのは、康熙帝の御幸だった。康熙帝は中国北部へ視察に出かけたとき、承徳武烈川辺りの自然豊かな環境が気に入った。さらに承徳近郊で「木蘭秋」という狩猟の行事を行うことでモンゴルの王室貴族を懐柔することもできた。そのためここに行宮を修築することにしたという。

 避暑山荘は清王朝皇帝の夏季のリゾート地兼仕事場となり、毎年多くの時間をここで過ごした。また王侯貴族や外国の使節を謁見する場となり、北京を除くもう一つの政治的中心地として、数多くの歴史的出来事の現場となった。

避暑山荘(1900年撮影、パブリック・ドメイン)

 この立派な皇室庭園のレイアウトは極めて精緻だ。庭園の五分の四を占める山岳地帯は起伏に富んでいる。緑豊かな自然は見る者の目を楽しませ、静かに流れるせせらぎは心を落ち着かせてくれる。山荘を囲む塀は10キロメートルに及び、地形の起伏に合わせて作られている。そして庭園の中に山があり、山の中に庭園があるという特徴を持つ。これは江南の水郷と北の大草原の風景を巧みに融合させたものであり、中国の皇室園林芸術の中の典範的存在だ。

(つづく)

(文・呂漢文 / 翻訳・清水小桐)