(イメージ / Pixabay CC0 1.0)

 古代の人々は、大きな災難が起こる前に、神様は天文現象の形で警告を下すと信じてきました。そのため、人間社会は、天体観測の結果に基づいてあらゆる活動をしてきました。

 古代エジプト人は、太陽とシリウスの位置を観測することによって、ナイル川の増水期を判断していました。古代メソポタミア(現在のイラク)で大規模に建築された建築物は、天体観測を目的としたジッグラト(天文台)でした。中国においては、2000年以上前の戦国時代から星図が応用されていました。中国では古代から清王朝に至るまで、天文現象を観測し、天の意志を予測する部門と人員が絶えずに存在していました。

 このような仕事をする人々は、明王朝で「欽天監(きんてんかん)」と呼ばれていました。「欽天監」はいささか神秘的な役職です。明王朝は最初、元王朝の旧制を踏襲し、この官職を「太史監」と称し、後ほど「太史院」と改称されました。そして最終的には「欽天監」と名付けられました。天の意思を探るため、欽天監は北京と南京の南東方向に観象台(天文台)が建てられ、中に「渾天儀」と「簡儀」などの天文学用の設備が設置されました。欽天監には「監正」(台長)が一人、「監副」(副台長)が二人配属され、天文現象を把握し、暦法を定め、天体の運行を推測し、占いを行います。太陽、月、星、風と雲などの天文現象は全て欽天監の術官(天文学者)たちが観測します。欽天監は天象の異常を観測したとき、天の警告としてそれを文書に記録し、皇帝に伝えます。

 欽天監には、春、夏、中、秋、冬というの五つの「官正(かんせい)」が一人ずつ配属されており、その五つの官にはそれぞれ「霊台郎(れいたいろう)」が八人、「保章正(ほしょうせい)」が二人、「挈壺正(けっこせい)」が二人、「監候(かんこう)」が三人、「司暦(しれき)」が二人、「司晨(ししん)」が八人、「漏刻博士(ろうこくはかせ)」が六人配属されます。「官正」は、「司暦」と「監候」の補佐をもって暦法と四季を推算し定めます。「霊台郎」は太陽と月、星辰の躔次(てんじ、天体が運行して占める位置)をわきまえ、天文現象の変化を把握します。「保章正」は天文現象の変化をもって吉凶判断を行います。「挈壺正」は刻漏(こくろう)を司り、明け方と夕刻の中星(ちゅうせい、中天の南方にある星)の位置を観察します。「漏刻博士」は、「司晨」の補佐をもって、漏刻を観測し、「時牌(じはい)」を交換することで時刻を知らせ、夜になると更を知らせる鼓を打ち鳴らし、朝になると晨旦を知らせる鐘を打ち鳴らします。欽天監の観象台の東西南北の4方向には、それぞれ四人の「天文生(てんもんせい)」が交代で観測します。

 専門性が高い欽天監の術官たちは、他の官職に転職することができず、その子孫たちも職を世襲し、他の職業に就くことが禁止されました。官正から天文生に至るまで、専門知識を日々勉強するほか、天文現象の観察、暦の改定などの役割を務め、造営や戦争、皇帝の冠婚葬祭などの大事なイベントのために宝地や吉日を選びます。

 古代中国の科学技術では、天文暦法が一番先進的な分野でした。欽天監の観察や各地の報告により、『明史』の『天文誌』と『五行誌』には、太陽黒点の運動、日食、月食、流星、隕石、彗星、「天鼓鳴」などの天文現象が大量に記載されています。

 昔から、人々は天地を畏敬してきました。天空と大地がなければ、人類も存在できません。太陽と月、星、山と川、花と草、樹木などは、人類の生存する環境を提供してくれます。天地、四季、生き物の変化は、人類に自然の法則を教えてくれます。長く伝わってきた天地を畏敬する文化は、人類に行動の指針を示してくれます。そして、あらゆる天文現象や天体の変化が人類の生活と深く関連しているため、神秘的な欽天監がその働きで古代中国の人々の暮らしを守ってきたと言っても過言ではないかもしれません。

(文・林蘭/翻訳・常夏)

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