2008年5月12日、中国中西部の四川省アバ・チベット族チャン族自治州汶川県(ぶんせんけん)でマグニチュード8.0の四川大地震が発生し、死者・行方不明者は合わせて8万7000人を超えました。しかし、この地震で倒壊した学校の校舎が多くの学生の命を奪った惨事について、中国政府は未だに調査結果の公表を拒否しています。四川大地震の被災地を何度も訪れた元中国のメディア関係者である趙蘭健氏は弊社とのインタビューで、「四川大地震による死傷者はすべて人災であり、16年が経過しても真実が明らかにされていないことに悲しみを感じる」と語りました。

死亡した学生の名簿は今も公開されていない
 四川省什邡市(しゅうほうし)洛水鎮(らくすいちん)の住民である李徳全さんの12歳の娘は通っていた洛水鎮洛城小学校の校舎が倒壊し、他の100人以上の同級生と共に命を落としました。李徳全さんは16年間、政府の様々な部門に訴え続け、校舎倒壊の責任者の責任を追及するために裁判所に訴訟を起こしたが、いまだに何の回答も得られていません。

 2008年5月12日の地震発生から3日目、成都市民の楊雨(ようう)さんは香港のラジオ局の撮影クルーを連れて地震の中心地域である北川県城に入りました。現場で彼は、学校の建物が他の建物よりもひどく倒壊しているのを発見し、これは何らかの理由があるに違いないと考えました。その1ヵ月後、楊雨さんはまた、四川省の作家譚作人(タン・ズーレン)氏と共に、中山大学中文系の艾曉明(アイ・シャオミン)教授を連れて地震被災地に入り、学校の被災状況を撮影しました。1年後、艾教授はドキュメンタリー映画『私たちの子供たち(我们的娃娃)』を完成させ、地震での生徒の死因が校舎の建築品質問題にあるという事実を示しました。楊雨さんは当時、公式に統計された5335人の死難(遭難して死ぬ)生徒の名簿を公開するよう政府に要求したが、この最低限の要求ですら16年経っても満たされていません。

一瞬で倒壊した北川中学
 四川省北川県にある北川中学校は、四川大地震で中学校の5階建ての校舎2棟が数秒で粉々に倒壊し、全校2700名の生徒と教職員の半数が命を失い、生き残った者も多くが負傷しました。

 中国の複数のメディアによると、地震後、倒壊したレンガにはごく少量のセメントしか塗られておらず、場合によってはセメントがまったくないことも判明しました。また、耐力柱の鉄筋が非常に細いだけでなく、本数も非常に少なく、最も太い鉄筋でも人の小指ほどの太さしかなかったのです。建築業者が手抜き工事をし、監督者が良心の呵責(かしゃく)など微塵(みじん)もなかったのは明らかでした。そのため、通常は中国当局に従順な公式メディアでさえも、北川中学の大惨事を「七分は天災、三分は人災」と表現せざるを得ませんでした。

北川中学と対照的な劉漢希望小学校
 北川中学の悲惨さと対照的なのは、北川県城からわずか約7キロの場所にある劉漢(りゅうかん)希望小学校です。この小学校の校舎は全く倒壊せず、授業中だった483人の小学生と教職員は全員無事でした。この事実が地震発生後しばらくの間に話題となり、中国のネット上ではこの小学校の建設に出資した四川漢龍集団や建築業者を称賛する声が相次ぎました。しかし、驚くべきことに、2014年に四川漢龍集団の劉漢会長が「黒社会(暴力団)」組織を率いていたとの罪で死刑判決を受け、翌年に処刑されました。たとえ劉漢の罪が確実であったとしても、暴力団の頭目が中国共産党の幹部よりも良心を持っているというのは、中国共産党の統治下でしか見られない不思議な現象でしょう。

四川大地震、チリ地震、台湾花蓮地震の比較
 元中国メディア関係者の趙蘭健氏はこのほど、弊社とのインタビューで、四川大地震後、何度も震源地、被災現場、汶川周辺の環境を調査したと述べました。彼は「四川大地震の死傷は完全に人災だ」と考えています。

 四川大地震の2年後、2010年に南米チリ中部でマグニチュード8.8の強い地震が発生したが、チリの公式発表によると死者数486人、行方不明者79人でした。一方、四川大地震では9万人近くが死亡または行方不明となっています。この大きな差の原因は何でしょうか?

 趙蘭健氏は、これは両国の社会制度の違いによるものだと考えています。彼は「1960年、チリではマグニチュード9.5という人類史上最大のバルディビア地震が発生した。地震後、チリ政府は法律で建物の耐震基準を定めた。地震による倒壊で死傷者が出た場合、建物の設計者、施工者、管理者に責任を追及することを規定した。しかもそれは終身にわたって責任が追及される。2010年にチリで発生したマグニチュード8.8の地震で死者が500人にとどまったのはこのためだ」と述べました。

 趙蘭健氏は、四川大地震は中国政府に警鐘を鳴らすことができなかったと指摘しました。その理由は、中国当局が四川大地震に対する責任追及を一切許さず、国民の真実への究明も禁じたためです。汶川県の中学校の死難者名簿が機密扱いにされており、民間の調査活動も政府によって阻止されています。調査を行おうとした民間人は皆、当局に逮捕されています。

 このような歪んだ政治制度のもとでは、次の汶川地震はさらに悲惨なものになるだろうと趙氏が考えています。

 趙氏は、2015年にチリを訪れた際、サンティアゴの街角で大型倉庫型スーパーの一角が倒壊しているのを見たが、死傷者は出なかったと明かしました。地震後5年間にわたり、チリ政府は建設業者の法的責任を追及し続けました。一方、中国では、四川大地震後、すべての手抜き物件を建てた業者は中国共産党政権によって野放しにされました。

 趙氏はまた、今年4月初めに台湾の花蓮県で発生したマグニチュード7.2の地震では、死亡者数はわずか18人だったことを挙げました。2024年の花蓮地震にせよ、2010年のチリ地震にせよ、国民の迅速な自力救済能力と社会救援機関の組織能力について、四川大地震を経験した中国とは比べものにならないと述べました。

 趙氏は、「危機に遭った際の自力救済について、民主主義国家と専制国家の教育も完全に異なる」と指摘し、「民主主義国家の国民は市民教育を受けているが、専制国家の国民は奴隷化教育を受けている。市民の自由を厳しく制限する社会は、国民全体の自力救済能力も劣化してしまう。奴隷のように訓練された中国国民は、基本的な生存能力に欠けている。そのため、中国社会で危機が発生した時、全体的に混乱が生じるのは避けられない。これは奴隷化教育の必然的な結果だ」と述べました。

(翻訳・藍彧)