(Pixhere, CC0)

 「大羅刹国」を訪れてきた中国の美青年、馬驥(ばき)。政治の場で浮き沈みを経験して、元にいた村に戻ると、村人の話を聞いて、商人としての冒険心が勝り、かの「海市」に行こうとしているところでございます。

海市(かいし)

 それから数日後、案の定、村人たちのもとに、お金を渡して何か買って来て欲しいと頼む者が現れました。
 馬驥は数名の村人たちと海市へ行き、三日間の航海の末、市場に到着しました。
 市場にあるものはすべて、彼が見たこともないような奇妙でエキゾチックなもので、しかも一つ一つがとてもきらきらと光り輝いていました。馬驥はそれらを見て、目がくらみました。

 その時、身のこなしの軽い一人の青年が駿馬に乗ってやって来ました。市場にいた人々は皆、「東洋の三太子」のご到着だと言って、大急ぎで道を開けました。
 その青年は馬驥を一目見て、この人は辺鄙な小国から来た人ではないと思い、馬驥がどこから来たのかを尋ねるよう召使いに命令しました。馬驥はすぐに道端に立って礼をして、名前を名乗り、出身地を告げました。
 三太子はこれを聞いて喜び、「あなたがここまで苦労して来られたからには、私たちに縁があるということです」と言いました。三太子は召使いに馬を一頭連れて来るよう命じ、馬驥に「馬に乗ってください」と言いました。馬驥も怖気づかず、東洋の三太子に付いて行きました。
 一行は西の城を出て岸辺まで着くと、道がなくなっていました。すると、馬驥が乗っていた馬は長い嘶きとともに跳ね上がり、水の中に飛び込みました。
 馬驥は大変驚き、思わず叫びました。しかし、よく見ると、海水が分離して両側に壁のように立っていました。
 そして、しばらくすると、遠くの方に極彩色に輝く宮殿が見えてきました。宮殿の梁はべっ甲で装飾され、瓦は魚の鱗でできており、四方の壁は水晶のように明るく、眩しく輝いていました。

 宮殿の入口に着くと、三太子は馬驥を宮殿に招き入れました。馬驥が顔を上げると、龍王が宮殿で端座しているのが見えました。
 三太子は「私が海市を散歩しておりましたところ、こちらの中国人のお方に偶然お会いしましたので、まずは陛下に拝謁して頂くためにお連れ致しました」と述べました。
 馬驥は急いで前に出て、跪いて敬礼しました。
 すると、龍王は喜こんで、「先生は中国から来られたのですから、当然文才がおありでしょう。ご面倒でしょうが、海市についての文章を書いては頂けないでしょうか?」と言いました。
 馬驥はもともと学者青年でしたので、これを快く承諾しました。
 ほどなく、水晶の硯、龍の髭の筆、蘭の花のように香る墨、雪のように白い紙が差し出されました。
 馬驥は千字余りの文章『海市賦』を一気に書き上げ、龍王に差し出しました。
 それを読んだ龍王は、「先生はとても才能がおありです。私の水の国に彩りを添えてくださいました」としきりに称讃しました。そして、龍王は龍一族を呼び集めて、馬驥のために大きな歓迎会を開きました。

 酒宴がたけなわになった時、龍王は杯を挙げて馬驥に「私の大事な娘はいまだに結婚しておりません。私は先生の文才に敬慕しております。私の娘と婚約していただきたいのですが、先生のお気持ちはいかがでしょうか?」と言いました。
 馬驥は席から離れて、「喜んで」と繰り返しお礼を言いました。
 龍王は馬驥が承諾したのを見ると、後ろを振り返り、側近の者にあれこれを申しつけました。まもなく、数人の宮女が一人の女性を介添えして出て来ました。見ると、その女性はしなやかで美しく、天女のようでした。
 儀式の進行役が着席したその瞬間、太鼓を交えた婚礼の音楽が鳴り始めました。重ねて良いことに、婿は才子で、嫁は器量のよい令嬢で、たいへんお似合いのお二人でした。そして二人は天地の神に礼拝して、めでたく夫婦になりました。

 馬驥は、海市を訪れただけでしたが、不思議な縁に導かれて、意外にも、龍宮城の龍王の娘婿となったのです。

 龍王は馬驥の書いた『海市賦』を四海の龍宮に送ると、それらの龍王たちはみな祝賀の使いを出向かせました。
 馬驥は龍王の娘婿として、錦糸の刺繍の施された服に身を包み、青龍が引く車で出かけ、武士に囲まれて威風堂々としていました。
 数日のうちに、龍王の媒酌によって龍王の娘婿になり、「龍の媒酌」の名は四海に広まりました。

 龍宮城は、まるで水晶の世界のように、透明できらきらと光っておりました。その中には一本の玉の木があり、木の幹は白い玉(ぎょく)のようで、真ん中は淡い黄色でした。玉の木の葉は碧玉のようで、銅貨くらいの厚さがありました。馬驥と妻の龍夫人は、いつもその木の下で詩を詠み、歌を歌い、酒を酌み交わしました。
 玉の木は開花すると、クチナシの花に似た香りをほのかに放ち、花びらが地面に落ちると、「チャリン、チャリン」と金属が触れ合って鳴るような音がしました。その花びらを拾い上げてみると、赤い瑪瑙(めのう)を削ったように見え、光沢があってとても愛らしいのです。
 木の周りには、常に奇妙な鳥が飛び回って鳴いていました。この鳥は金緑色(きんりょくしょく)の羽色で、尾が体よりもずっと長く、その鳴き声はまるで玉笛を吹いたような、哀愁を帯びた滑らかで抑揚のあるきれいな音色で、もの悲しい気持ちにさせてくれました。馬驥は、この鳥の鳴き声を聞くたびに、故郷を懐かしく思わずにはいられませんでした。

 ある日ついに、馬驥はこらえきれず、龍夫人に話しました。「私は三年間故郷を離れていますが、両親のことを思い出すたびに辛くなります。私と一緒に実家に帰って、両親に会ってもらえないでしょうか?」
 龍夫人は善良でやさしく聡明で、馬驥と夫婦になってからは、互いに尊敬し合い、仲睦まじく暮らしてきました。夫のこの言葉を聞いて、彼女は夫の心を落ち着かせようと「この仙境は、人間の俗世間とは違うので、あなたについて行くことはできません。しかし、夫婦の愛のために親子の情を奪うのも忍びないのです。どうか解決策を考えさせてください」と言いました。
 しかし、馬驥はこれを聞いてひそかに悲しみに涙し、龍夫人も「双方に都合のいいようにすることは本当に不可能なのですね!」と溜息をつきました。

 翌日、このことを知った龍王は馬驥を呼びました。「両親を恋しく思い、心は故郷にあると聞いています。それは人間にとっては当たり前の感情です。明日、片付けが終わって旅立つ用意ができたら、出発の見送りをしようと思いますが、どうでしょう?」と馬驥に言いました。
 馬驥は龍王のやさしさに感謝し、すぐに「私は他郷にいた時は孤独の身でしたが、私に目をかけてくださり、面倒を見てくださったことに感謝しています。御恩をしっかりと心に刻みます。しばらく実家に帰って、両親に会いに行くことを、どうかお許しください。その後また戻って参ります」と感謝の言葉を述べました。

 その夜、馬驥と龍夫人は別れを告げ、将来会う約束をしました。しかし、龍夫人は「私とあなたの夫婦の縁は、これにておしまいになるのでしょう。あなたには人情も正しい道理もあり、私に対しても優しく親切にしてくれました。さらに孝心があり、実家に戻って両親に孝養を尽くそうとしています。これらはすべて良いことです。人生は出会いと別れの百年ですけど、それもまたあっという間のことですから、普通の人のように泣く必要はありません。あなたが去った後も、私はあなたの為に貞操を守ります。あなたも私の為に再婚してはなりません。たとえ別々の場所にいようとも、心が同じであれば、それもまた円満な夫婦なのではありませんか?私たちは、常にいっしょにいて、ともに年を取るまで添い遂げる必要がどこにありますでしょう」
 龍夫人はさらに、「しかし、そうである以上、私たちの誓いを破ってはなりません。そうでなければ、再婚はあなたにとって不運なものとなるでしょう。面倒を見てくれる人がいないことを心配するのなら、下女を妾(めかけ)にしてもかまいません。ついでにもう一つ言っておきたいことがあります。どうやら私は身ごもったようです。ですから、あなたが出発する前に、その子に名前を付けてくださいませ」と言いました。
 馬驥は「女の子なら『龍宮』、男の子なら『福海』と名付けましょう」と言いました。彼は証として、羅刹国で手に入れた一対の赤玉の蓮の花を龍夫人に渡しました。
 龍夫人は神仙界の人なので、過去も未来もよく分かっていました。ですから馬驥に「三年後の4月8日に、南の島へ行ってください。その時、子供をお渡しします」と言いました。その後、魚の皮で作った袋を取り出し、その中にいっぱいの宝石を入れて馬驥に渡しながら、「これを大事に保管していれば、何代にもわたって十分に生活していけると思います」と言いました。

 夜が明けると、龍王もお別れの宴を開いて、馬驥に多くの贈り物をくれました。馬驥は別れを告げて龍宮城を出ましたが、龍夫人は白い羊の引く車で海辺まで送ってくれました。
 馬驥は陸に上がった後、車から降りました。龍夫人は「くれぐれもお身体に気をつけて」と言って、すぐに海に入って行くと、あっと言う間に遠くまで行ってしまいました。両側に分かれて立っていた海水は再び合流し、龍夫人の姿がもう見えなくなりました。
 馬驥は海に向かってしばらく呆然とした後、実家に向かいました。

 馬驥は三年前に海で失踪して以来、人々は彼が死んだと思っていました。そのため、家族は馬驥を見た時は大変驚きました。幸いなことに、馬驥の両親はまだ健在でしたが、前の妻はすでに再婚していました。
 馬驥はその時初めて、龍夫人が彼に再婚しないでと言ってくれた意味を理解できました。龍夫人は前妻が再婚したことをすでに知っていたからです。馬驥の両親は彼が再婚することを望んでいましたが、馬驥はそれを拒否し、下女を妾として迎えました。

 あっと言う間に三年が経ちました。龍夫人との三年前の約束をしっかり心に刻み、馬驥は、4月8日に南島にやって来ました。その時、二人の幼い子供がにぎやかに笑いながら、水面に浮かびながら座っているのが見えました。馬驥は二人の子供を抱き上げて岸に運びましたが、よく見ると、一人は男の子で、もう一人は女の子で、頭にかぶった帽子にはそれぞれ玉が付いており、それがまさに、龍夫人に託してた赤玉の蓮の花でした。
 子供たちはそれぞれ絹の袋を背負っており、その中には龍夫人からの本心を綴った手紙が入っていました。別れた後の夫婦の離別の思いや、やんちゃな男女の双子の話が長々とつづられており、なかなか尽きることがありませんでした。ほかには、義父母に会うことができないため、親孝行ができない無念さや、一年後に義母が埋葬される際には、龍夫人が必ず義理の母を見送ることなどが書かれていました。
 馬驥は、一年後に龍夫人が自分の母親の葬式を見送りに来ることを知ると、母親の寿命がすでに長くないことが分かり、墓地と棺、そして納棺の際の衣服を準備し、墓地に百本以上の松の木を植えました。

 一年後、やはり馬驥の母親は亡くなりました。葬列がちょうど墓地に到着した時、麻の喪服姿の女性が墓に近づき、むせび泣きながら弔問していました。みんなが驚いて見ていると、突然荒れ狂う風が起こり、稲妻が鳴り、大雨が慌ただしく降り出し、瞬く間にその女性はいなくなりました。新しく植えた松の木は気候風土に合わず、元々あったほとんどの木も黄色くなって枯れていましたが、この時の雨によってすべての木が生気を取り戻しました。
 男の子の福海くんは成長した後、常に母親を気にかけていました。彼は海の中に飛び込むことができたので、母親に会いに行くことができました。そして数日間母親に付き添い、また自力で馬驥の元に戻って来ました。しかし、女の子である龍宮ちゃんは、福海くんのように海に入ることができず、家にこもって泣くしかありませんでした。そんなある日の真っ昼間、突然黒雲が垂れ込み、龍宮は母親が部屋の中に入るのが見えました。龍夫人は「大きくなったら家族が持てるのに、どうして泣くことがあるの?」と龍宮ちゃんを慰めました。その後、母は娘に高さ八尺(約2.7メートル)の珊瑚の木と、龍脳の香、百個の真珠、そして八つの宝物が入った一対の金の箱を、龍宮ちゃんの将来の嫁入り道具として彼女に与えました。
 馬驥は龍夫人が来たと聞いて、慌てて駆けつけ、彼女の手を取って泣きだしました。しかし、時はすでに遅く、一筋の雷が屋根を突き破り、龍夫人は一瞬のうちに消えてしまいました――。

 「羅刹海市」の物語はここで俄然と終わりを告げ、それ以上語られることはありませんでした。
 作者の蒲松齢(ほしょうれい)は物語の最後に、「異史氏」という名義で、次のように嘆きました。
 「ああ!出世や財産や地位は、おそらく海市の中だけに求めることができるのでしょう!」

(翻訳・夜香木)